2012年3月31日土曜日


イスラエルの宗教モザイク

日本人の常識では、とても理解できないのがイスラエルの宗教。 ユダヤ人は「3人集まると4つの意見が出る」と言われるほどに多様なので、簡単には説明できません。 しかし、宗教はイスラエル社会を理解する上では重要な要素なので「厳密さは多少犠牲にして」とお断りをした上で、様々なグループの宗教的傾向を簡単にまとめてみたいと思います。


宗教の基本的構成を理解する

この円グラフは、イスラエル政府統計局発表によるイスラエルの人口と宗教分布です。全人口の4分の3を占めるユダヤ人は全員がユダヤ教で 、残りのアラブ人などはイスラム教、ドルーズ教、キリスト教徒などに分かれます。
まず、ユダヤ教徒が4つに分かれていることから、説明を始めなければなりません。 超正統派は独特の黒くて長い服を着た人々、宗教派は普通の服装ですが律法を守りユダヤ教を信じる人々、 伝統派は宗教ではなく民族の伝統として律法を守る人々、世俗派は宗教にも律法にも興味の無い人々です。 ここで「律法」というのは、「ハラハー」と呼ばれる宗教律法のこと。 たとえば、豚肉を食べないなど、ユダヤ教の食事規定を守り、安息日には車に乗ったりテレビを見たりしない等の事柄です。
超正統派、宗教派、伝統派、世俗派という4区分は必ずしも明確なものではありません。 伝統派を世俗派に含める場合もあり、また宗教派を「正統派」と言う人もいます。一般には、超正統派、正統派、世俗派という3区分で考える場合が多いでしょう。


宗教は信じないが神は信じる?

いずれにしても、ユダヤ人の大多数は「宗教を信じない」のです。 ところが、別の意識調査によると、神を信じる人はユダヤ人の71%もいます。 イスラエルの人々が世俗的な人でも神の存在を意識していることは、実際に話をしてみるとわかります。
しかし、神がいると感じていても、ユダヤ教という「宗教」を信じない人々が多いのです。
さらに不思議なのは「ユダヤ人は全員がユダヤ教徒」という驚くべき統計数字です。 何と、宗教を信じない世俗的な人々も、立派に「ユダヤ教徒」に分類されているのです。

2012年3月29日木曜日


『樹木たちはこう語る』 ドロシー・マクレーン著 日本教文社

 本の紹介です。スピリチュアル関係の本で一冊だけ選べと言われたら、私は迷わずこれを選びます。愛に満ちたメッセージが詰まっています。ひとりでも多くの人に読んでいただきたい。そして感じていただきたい、一冊。

         【フィンドホーンについて】

2012年3月27日火曜日


Translated by Masazumi Fujiwara from the English.

I. 新しいシリーズ:何が成長させるのか?祈りだ!

私達は先週から新しいシリーズ「何が成長させるのか?」をはじめました。先週、私達はクリスチャンの成熟のために、聖書を知り、それに従うことは決して譲る事のできない本質的なものであることを見ました。

皆さんが、聖書を学ぶということにさらに献身するために、皆さんにチェックリストをお渡しましたが、それに目を通されたでしょうか?皆さんがそこにある項目にチェックを入れて、さらに御言葉を吸収していこうと決心されたのなら、これほど嬉しい事はありません。

A.目標:霊的な成長のために不可欠な習慣を身につけること

テーマ聖句:Ⅱペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

あなたは神様があなたに成長してほしいと願っている事を分かっていますか?神様はもうあなたがイエス・キリストを救い主として信じるだけでは満足しておられません。今、神様はあなたが神様を主として従い、着いて行くことを願っておられるのです。神様こそあなたが従うべきお方です。

B.霊的に成熟するためにはどのくらいの時間がかかるのか?

私達が「成熟した」と言われるようになるまでにどれくらいの期間がかかるのかについて、聖書は何か言っているでしょうか?そう、言われているのです。パウロはコリント宣教をした後、4~5年後にコリント人への手紙Ⅰを書きました。彼はおそらく紀元51年にコリントに着き、53年までそこに滞在したようです。したがって、彼がコリント人への手紙Ⅰを書いたのは、56~57年の頃でしょう。彼はコリントの人々が成熟の域に達するまで4~5年あれば十分であると考えていたようです。

彼はⅠコリント3章でこのように述べています:

1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。 2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。 3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

もしあなたがクリスチャンとなってからまだ5年も経っていないのなら、まだまだあきらめる事はない。一瞬にして成熟する事を求めてはいけない。そんなこと初めから無理なのですから。しかし、いつも成長しようと努めなさい。

「5年!」という言葉を聞いて不快に思った方はおられませんか?恐らく、その人はクリスチャンとなってから5年以上経っておられるのでしょう。自分が本当はもういなければならない所から遠く離れていることを知っていても、「まあ、とにかく進んでいる方向は間違っていないわけだし、いつかきっと成熟に達するさ。だいたい誰がその「時」を知っているんだ。」と言って、自分の良心を抑えようとしていませんか?成熟とは漠然として、はるか向こうにあって、死ぬまでに達成することなどできないようなゴールでは決してありません。パウロに従えば、成熟は比較的短い期間で達成できる具体的なゴールであるのです。さあ、皆さんどうしますか?

C.全体像:成熟したクリスチャンの7つの習慣

それでは、霊的な成熟に達するためにすべてのクリスチャンに求められる7つの基本的な習慣を見てみましょう。私達は…:

2012年3月24日土曜日



月日は現在より少し先へ流れ・・・・・

クリスマス

誰もが心を躍らせ、楽しみにしている日

日本中、否、世界中の街はクリスマスムード一色となり、人々の心を喜ばせている

街ではメリークリスマスと書かれたネオンに、キラキラと輝くイルミネーション

そして、緑の樹に様々な装飾をつけ、樹の頂上に飾られている星が象徴的な、クリスマスツリー

これを見て、クリスマスを心待ちにしない者などいないだろう

そして、12月24日

クリスマスを楽しんでいるのは、ここデュエルアカデミアも例外ではない

校舎の入り口には大きなクリスマスツリーが飾られ、その横を数名の生徒が走り去っていく

「早く行こうぜ!パーティーが始まっちまう!!」

「早く行きましょう!!」

「ま、待ってよ� �~!」

彼らが、学園の掲示板の前を走り去っていく

その掲示板に、何枚か貼られた用紙の中でも大きめの用紙には、こう書かれていた

『12月24日!毎年恒例、デュエルアカデミア・クリスマスパーティ開催!!』

体育館では既に多くの生徒が集まっており、まもなく始まるパーティを、今か今かと心待ちにしている

その中には無論、彼等もいた

「もうそろそろか」
微笑を浮かべ、時刻を確認しながら呟く黒崎一真

「ああ!!楽しみだな~!!美味そうな料理も沢山あるし、クリスマスデュエル大会も早くやりて~!!」

「そうっスねアニキ~。ああ僕も早く料理が食べたい~」

「お、俺もだ。クリスマスの豪華な料理、すごく楽しみなんだなぁ」

次々と運ばれているクリスマスに相応しい料理を目で追いかけながら、垂れそうになる涎をこらえつつも、後に行われるデュエル大会を楽しみにしている遊城十代に、料理だけに夢中になっている丸藤翔に前田隼人

「悪いが今回は勝たせてもらうぞ十代。以前のようには行かないからな」

「どうかな!今度も俺が勝ってやるぜ!ってか三沢、いつからいたんだ?」

「クッ・・・ずっといたよ。というかさっきも言わなかったか?!� �

「あ、そうか?悪い悪い」

実力はかなりの実力だが何故か影の薄い三沢大地

「フフフ・・・皆、楽しそう。私も簡単に負けるわけには行かないわね」

「俺もこういった行事は嫌いじゃない。優勝も良いが、楽しめるデュエルができそうだ」

わいわいと騒いでいる面々を見ながら微笑む天上院明日香と、デュエル大会へ静かな闘志を燃やすカイザー事丸藤亮

「フン!クリスマスだからといって浮かれおって!このクリスマス・デュエル大会、優勝はこの万丈目サンダーだッ!!」
この学園の制服ではない漆黒の制服を纏い、デュエル大会の優勝を狙う万丈目準

十代は、体育館の隅でせっせと準備をしている茶色の服を着た人物を見つける

2012年3月22日木曜日


理解/

1.聖書

2.真理

3.主

4.主から発した信仰

5.光の子

6.ヴァッスーラ

7.ルイザ・ピッカレータ

8.マリア・ワルトルタ

 

 

 

1.聖書より

 

ヨハネ3・16−21

 

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P58

 

 しかし彼らは私を憎んでいます。私はこの世にとって一つの"危険"だからです。世間の偽り、欲望、暴力に対する危険そのものだからです。私は光で世間を照らすが、世間は光を愛しません。光は世間の俗悪さを、はっきり見せつけるから、世間は私を愛さない・・・私を愛することはできません。私が人間の心に打ち勝つために、つまり、人間を迷わせる闇の王に打ち勝つために来たと知っているからです。世間は私が医者であり、薬であることを認めようとせず、治療を拒んで狂ったように私を殺したいのです。

世間は私が主であるということに納得しない。私の言うことが世間の常識に背いているからです。そのために世間は、罪悪である自分の本性をあばこうとする私の声を、神の声を、押しつぶそうとしています。私と世間との間には、淵があります。それは私の責任ではありません。私はこの世に光と道を、真理と命を与えるために来たのに、世間は私を迎えようとしない。私の光は、その世間にとって闇に変わる。それは私を望まない人々の罰になるからです。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P174

 

「知っています。ともかく灯りをつけなさい。闇の中で話すのは、正しい人のすることではない。泥棒、うそつき、好色家、人殺しのすることです。悪の共犯者は闇が好きなのです。だが私は共犯者ではない・・・」

 

 

天界の秘義6655

 

「さあ、わたしたちはそれを慎重に取り扱おう」(出エジプト記1・10)

2012年3月15日木曜日

 

こちらでは、マザーテレサによって残された言葉をとおして、その愛と祈りの生涯を見て行くこととします。


1

この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。

 マザー・テレサ語る より

マザーテレサは、貧しい人々、病んだ人々を生涯にわたって愛し、助け続けました。

彼女のつくった「神の愛の宣教者会」は、「孤児の家」「ハンセン病患者の家」「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、常に貧しい人々の中のいちばん貧しい人々、病んだ人々、社会の人々から必要とされていないと感じるような立場におかれた人々を、今現在も愛し、助け続けています。


2

マザーは信仰の人でした。カトリックの修道女として生きた人でした。

すべての人は良心をもっていて

みんなそれに

従わなくてはならないのです

その愛は、宗教や宗派にかかわらず、世界中のすべての人に対して、注がれていたのです。マザーに対して当初偏見を持って見ていた他宗教、他宗派の人々も、マザーのすべての人々に対する献身する姿に心を打たれる事になりました。やがてあらゆる宗教、宗派の人々がマザーを理解して行きました。

もしあなたが謙虚であるなら

何ごともあなたの心を汚さないでしょう

もしあなたが聖人であるなら

神に感謝しなさい

もしあなたが罪人であるなら

そのままでいてはいけません

 

マザーは、信仰による真実に生きることを自ら実践し、人々にもその生活の場での、真実の実践を勧めました。

もし、経験がないならば、尋ねなさい

尋ねることは恥ずかしいことではありません

けれど、知らないことを、

知っているようなふりをするのはやめなさい

マザー・テレサ 日々のことば より


3

マザーの活動はインドのカルカッタで始まりましたが、やがて世界の多くの国々へと広がることになったのです。

考える時間を持ちなさい

祈る時間を持ちなさい

笑う時間を持ちなさい

 

それは力の源

それは地球でもっとも偉大な力

それは魂の音楽

 

遊ぶ時間を持ちなさい

愛し、愛される時間を持ちなさい

与える時間を持ちなさい

 

それは永遠につづく若さの秘密

それは神が与えてくれた特権

自分勝手になるには、一日は短すぎる

 

読書する時間を持ちなさい

親しくなるための時間を持ちなさい

働く時間を持ちなさい

 

それは知識のわき出る泉

それは幸福へつづく道

それは成功の価値

 

施しをする時間を持ちなさい

それは天国へと導く鍵

 

[カルカッタの「孤児の家」の壁にある看板より]

子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。

すべての子どもたちが、この世に望まれて生まれてくる、とマザーは言っています。それは一人の例外もなくすべての子どもたちを意味していました。

マザーは、子どもたちは祈ることを学ぶ必要があると語りました。


4

私たちは、祈ることで誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。

なぜなら、少しでも神に近づいた人間は、まわりにいる人たちに楽しさと愛を広めるからです。

この言葉は、なによりもマザー自身の体験をとおしての、祈りの果実を示しています。

それはとてもシンプルなものなのです。

私たちすべてが必要としているのは、祈ること、そして、他の人をもっと愛し始めることなのです。

マザーは、祈る事と人を愛する事が、すべての人に必要なものと言っています。

そして、祈るときに必要なものとして、沈黙をあげています。

だれにでも、沈黙し、黙想する時間が必要です。私はいつも沈黙のなかで祈りをはじめます。

神は静寂の友です−私たちは神の声に耳をかたむける必要があります。

祈りは魂を満たしてくれます。そして、人間は、祈ることで神に近づくことができるのです。

祈ることで、あなたは清らかで純粋な心を与えられるのです。

マザー・テレサ語る より


5

マザーは、心の静けさ(真の内面的な静寂)を得るために、次のようなことを上げています。

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)

ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)

暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)

うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)

すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

マザー・テレサ 愛のこころ最後の祈りより

マザーは、心の静けさを保つことによって、神の声を聞く特権が与えられると言っています。


6

マザー(この呼び名は、修道女〈シスター〉の母、女性指導者の意ですが、彼女の場合には、その固有名詞として呼ばれています)は、世の人々に対して、彼女と同じことをしてほしいとは言いませんでした。ただ、それぞれの生活する所で、彼女と同じように祈る人、他の人を愛する人になってほしいと願っていたのです。

彼女は、祈ることはだれでも、いつでも、どこにいても出来ると言っています。

祈ることをたびたび勧めています。それを説く相手は、宗教、宗派を超えていました。マザー自身は、彼女の信仰する父(神)とイエス・キリストさらに聖母マリアに祈ることを実践した人でした。

すべての宗教は、永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。

この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは、死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです。

マザー・テレサ 日々のことば より

マザーは永遠なる命について語っています。死は終わりではない、正しい信仰を知って生きる人は死を恐れることはないと言っています。すべての人はやがてこの世の死を迎える事により、神(宗教、宗派を超えた父(創造主))の家(霊魂の世界)へ帰ると語っています。彼女の信仰は、祈ることによって成し遂げられました。

私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、キリストを愛することと同じなのです。

救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら、私の答えは「神様を愛することです。そして、何よりもまず祈ること」

キリストを知らない人が、真にキリストを知るようになることをマザーは願っていましたが、それに関連して、彼女はこの世のすべてのキリスト信者にとって大切な言葉を残しています。

キリスト信者と世間に認められていても実際には実行していない人は、キリストを知らない人がキリストに近づこうとする事をさまたげてしまうと言っています。

生涯を通して実践していたマザーの大切な言葉です。

ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。

キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より


7

マザーは真の信仰(祈り)であれば、その人の祈りは、きっと受け入れられると話しました。

信仰が深まれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないとわかります。

 マザー・テレサより

マザーの信仰は、あらゆる宗教、宗派はもちろんあらゆる人種、社会的身分の人々を含むものでした。

すべての人々が必要としているのは、他の人々をもっと愛し始めることと言っています。

神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。

愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より

どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。そして人の心に平和をもたらします。

何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるか、、、 それが重要なのです。

2012年3月2日金曜日

戦争はなぜ起きるのか: 「日本を今一度洗濯いたし申し候」 なぜ破壊されるのか2

ローマに滅ぼされた古代の大商業国家カルタゴ、
そのカルタゴがあったチュニジアから、
2011年における破壊の口火となったジャスミン革命が起こったのも無縁ではあるまい。

ただ今回はそのことには触れない。
前に書いたかもしれないが、
あまり知られていない、興味深い事柄について書き留めておく。

まず、カルタゴは滅びたが、
滅びたカルタゴの怨霊がローマを滅ぼしたということ。

ローマに追い詰められたカルタゴが生んだ最後の英雄、
ハンニバルはスペインで暮らし、
ケルト人やガリア人と行動をともにした。

戦争の天才というより、
鬼神となってローマと戦ったハンニバルは、
ポエニ戦争中に片目を失う。

彼は死後、北欧神話における隻眼の死と戦争の神、オーディン・ウォーダンと呼ばれるようになる。
カルタゴを滅ぼされたフェニキア人は地中海を逃れ、
ガリア(フランス)やゲルマーニア(ドイツ)、そして北欧にまで落ち延びていった。
「臥薪嘗胆」「捲土重来」とは、
まさに彼らのためにある言葉であった。

フェニキア人が作っていた巨大な竜骨船は、
のちにバイキングに受け継がれる。

やがて神となったオーディンに急かされるよう、
ゲルマン人たちはローマを襲い、自分たちの国を建国した。
古代フェニキア人のローマに対する呪いは、
この時に開放された。

その新しいゲルマン人たちが信仰していたのがキリスト教であった。

キリスト教といえばローマの国教のはずだが、
なぜ敵であるゲルマン人もキリスト教を信仰していたのだろうか。

その答えのヒントも、
ヘルムの「フェニキア人」にちらっと出ている。

のち、ローマがすでに広汎にキリスト教化されてから、
もう一度、ゼノンと同じように厳しい精神的な立場に立つ人がふたり現れた。

それはテルトゥリアヌスとアウグスティヌスで、
二人とも教父であり、二人ともカルタゴ人であった。

二人のうち、テルトゥリアヌスの方が華やかで荒々しく、過激であった。
つまり、いかにもバールの神官らしい原初的な狂信家であって、
その上「ラテン語著作家のうちで最も難解な著作家」であった。

軍人の息子として生まれた彼は、
教会の長老となったが、教会の組織を、
とりわけ反ローマの地下活動と解していたふしがある。

「われわれは昨日の人間である」と、彼はたとえば書いている。
「しかしわれわれはすでに全世界に浸透した。都市、居住地区、宮殿、行政機関、学園、いや軍隊にまでも」。

そしてまた、迫害する相手に、
「われわれを苦しめ、虐待し、断罪し、踏みにじるがよい。
君たちの悪意はわれわれの無実の証拠なのだから」

私は長い間、イエス・キリストとは、
古代フェニキア王国を神話化したものであると主張してきた。

ヘルムの「フェニキア人」もそのことの証のひとつとなるだろう。

敵を滅ぼすための戦争は正面作戦だけではない。

フェニキア王国を神格化したヘルメス神は、
姿を消す帽子を持っていた。
オーディン・ウオーダンもまた同じである。