2012年3月22日木曜日


理解/

1.聖書

2.真理

3.主

4.主から発した信仰

5.光の子

6.ヴァッスーラ

7.ルイザ・ピッカレータ

8.マリア・ワルトルタ

 

 

 

1.聖書より

 

ヨハネ3・16−21

 

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P58

 

 しかし彼らは私を憎んでいます。私はこの世にとって一つの"危険"だからです。世間の偽り、欲望、暴力に対する危険そのものだからです。私は光で世間を照らすが、世間は光を愛しません。光は世間の俗悪さを、はっきり見せつけるから、世間は私を愛さない・・・私を愛することはできません。私が人間の心に打ち勝つために、つまり、人間を迷わせる闇の王に打ち勝つために来たと知っているからです。世間は私が医者であり、薬であることを認めようとせず、治療を拒んで狂ったように私を殺したいのです。

世間は私が主であるということに納得しない。私の言うことが世間の常識に背いているからです。そのために世間は、罪悪である自分の本性をあばこうとする私の声を、神の声を、押しつぶそうとしています。私と世間との間には、淵があります。それは私の責任ではありません。私はこの世に光と道を、真理と命を与えるために来たのに、世間は私を迎えようとしない。私の光は、その世間にとって闇に変わる。それは私を望まない人々の罰になるからです。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P174

 

「知っています。ともかく灯りをつけなさい。闇の中で話すのは、正しい人のすることではない。泥棒、うそつき、好色家、人殺しのすることです。悪の共犯者は闇が好きなのです。だが私は共犯者ではない・・・」

 

 

天界の秘義6655

 

「さあ、わたしたちはそれを慎重に取り扱おう」(出エジプト記1・10)


私たちは教会の誕生日何を呼ぶのですか

これは狡猾を意味していることは、「慎重」の意義から明白であり、それは真理と善から遠ざかっている悪い者について言われているときは、狡猾である。なぜなら悪い者がその狡猾から、また詐欺から行うものをかれらは慎重(なこと)と呼んでいるからである。「慎重(なこと)」により意味されている狡猾について、ここに若干述べて良いであろう。悪にいる者は凡て狡猾を「慎重」と呼び、理知と知恵をそれ以外のものから成立させはしないのである。世でこうした性格を持った者らは他生ではさらに悪くなり、そこで善い真のものに反したことを狡猾から絶えず行い、真理を誤謬によって、いかような技巧を、またはいかような邪悪な議論を弄してでも、無価値なものとし、破壊できるように自分自身に思われ� ��者らは、かれらの間では理知があって、賢明な者であると認められているのである。このことから教会の内で慎重を狡猾から成立させる折のその人間の性質のいかようなものであるかを認めることができよう。すなわち、かれらは(そのとき)地獄と交流しているのである。真の教会の人間である者たちは狡猾を嫌悪するほどにもそこから遠ざかっており、かれらの中で天使のような者である者たちは得べくば自分の心が開かれて、その思うことが何人にも明らかになるように願っているのである。なぜならかれらはその隣人に対しては善以外には何ごともねがってはいないし、もしたれかの中に悪を見ても、それをゆるすからである。悪にいる者らはそうではない。かれらはその考え、欲することが何であれ明らかになりはしないかと� �れているのである。なぜならかれらは隣人に対しては悪以外には何ごとも意図してはいないし、たとえ善を意図しても、それは自己のためであり、何か良いことを行っても、それはただうわべのみのことであって、利得と名誉を得るために善い者として見られるためである。なぜならかれらは、善で、真で、公正で、公平なものは、また尊いものは、(人の)心を、たとえ悪い者の心であっても、それをひきつける強い、かくれた力を持っていることを知っているからである。

 

2.真理

 

天界の秘義1839[9]

 

 ヨハネ伝に―

 

  これが審判である、すなわち光が世に来た、しかし人間は光よりも暗黒を愛した、彼らの業は悪であったからである(3・19)

 

 『光』は真理を、『暗黒』は誤謬を意味しており、真理はことごとく主から発しているため、光は主を意味しており、誤謬はことごとく

地獄から発しているため、『暗黒』は地獄を意味している。

 

3.主

 

天界の秘義1839[9]

 

 ヨハネ伝に―

 

  これが審判である、すなわち光が世に来た、しかし人間は光よりも暗黒を愛した、彼らの業は悪であったからである(3・19)

 

 『光』は真理を、『暗黒』は誤謬を意味しており、真理はことごとく主から発しているため、光は主を意味しており、誤謬はことごとく

地獄から発しているため、『暗黒』は地獄を意味している。

 

 

4.主から発した信仰

 

天界の秘義9245

 


方法Dデイの効果ユダヤ人でした

光は世に来た、しかし人間はその業が悪かったため、光よりは暗黒を愛した。悪を行う者はことごとく、その業が非難されることを恐れて、光を憎んで光へ来ない。しかし真理を行う者は、その業が明らかにされるために、光のもとへ来る、その業は神の中に行われたからである(ヨハネ3・19−21)

 

『光へ来ること』は主に対する信仰へ来ることを意味し、かくて主から発した信仰へ来ることを意味している。

 

 

5.光の子

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P59

 

私を迎える人は光、すなわち神の子となり、神を向かえるために生まれた人々です。

 

6.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P69

'88・11・15

 

あぁ ヴァッスーラ・・・ 同情と深い憐れみにより、注意を与え 死から救い出そうと、私はやって来た、私自身の者たちに あなたを遣わしたが、彼らは私の声を 押し殺してしまった、明るみに出て 己が非が露になるのを怖れて。 私の声を押し殺し、真理の霊を迎え入れないので、私は彼らの罪を よそ者たちによって暴かせる。 あなた方の家の屋根の上で ラッパのように我が声を響かせよう・・・(*) 私のことを全く知らない よそ者たちによって 私は受け入れられた。 戸を叩くと 中に入れてくれた。 貧しいながら、彼らの糧を分かち合い、その貧しさゆえに、私を探し求めてはいなかったが、それでいて、私を見出した。一番の友人たちによって 出来た傷を彼らに見せると、それを見て� ��彼らは私の傷の前に 膝を屈め、傷の深さに打たれ、私の体に加えられた 暴行に打たれ、心は蝋のように溶けた、泣かないでよい 我が子よ、

♡ ・・・私の声は よそ者に運ばれて行く、そのこだまを聞いたなら 私から発せられたと知るように。 私を求めたことのない よそ者によって 私は高められ、それまで私を知らなかった人びとから 栄光を受ける、そして私は 彼らの師となり 教えを説く、彼らの欠点を 私は消し去り、道理を説き、彼らは私を理解するであろう。 彼らが私の傷を癒そう ♡ 私は牧者、羊飼いたちに打たれ 散らされた、仔羊たちを集める、 ♡ ああ ヴァッスーラ、このすべてはもう 本当に間もなく成就する。 来なさい、私のうちに憩い、私もあなたのうちに 休ませてほしい、愛に結ばれ 分ち合いながら ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P138

'89・3・8

 

私自身の者たちの殆どが 我が霊のわざを拒み、否定し押しつぶしていながら、どうして心安らかに 使徒信経を祈り:「聖霊を信ず」と唱えられようか? 真に言う、彼らのうちには 聖さが見当たらない、闇の中で やましい行為を続け 光に曝されないですむように、この暗やみに、小さな炎を見い出すなら、吹き消そうとして、疾風のように飛んで来る、そう ヴァッスーラ、彼らは光の中では 生きたくないようだ、

 

主よ、わが光、世の光、あなたを礼拝します(*)。

 

   「この世の光」と書きながら、躊躇し、「この」という言葉を消しました。実際の世は闇に支配されていると思いましたので。イエスを微笑ませました。

 


ここで、メアリーが表示され、数珠が祈りをお願いすることでした

さあ、あなたは私を喜ばせる、いつの日か、我が子よ、光だけが見え、光しか見えないであろう! 決して気落ちすることはない、最後まで ともにいる ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P5

'89・9・29

 

我がヴァッスーラ、過ぎ去る日ごとにあなたは私に近づいている。 日ごとに私もあなたに我が愛を証し こうした仕方で私自身を明かしているのが私であると 証ししている ♡ しかしあなたの世代はあなたに災いしている、この世代の災いは合理主義と呼ばれ、合理主義は死に至らせる ♡ 合理主義は闇の君主に由来し、暗やみの中に住む者たちは皆 他の病とともにこの病いを患っている ♡ しかし私からの者はすべて 光から出ている、そしてあなた方の住むこの闇の世界を照らすために 選ばれた霊魂たちに私が降ると、悪を行うすべての者たちを我が光は不安にさせ、その悪行は露見してどの目にも見えてしまうために不安のあまり殺すのも厭わなくなる。 私から身を隠そうとしたアダムとエワの行� ��とあまり変わらない ♡ そう わが光の子よ、あなたは私のものです そしてそのために闇が敵対し迫害し、闇を嗣ぐ者たちは私の跡継ぎたちを常に迫害しよう ♡ あなた方のくに民に光の時が至れば 我が光は彼らを不安にさせ、この者たちを震え上がらせる この者たちは生涯かけて悪巧みし 合理主義を育ててきたからです、墓場に住む闇の霊魂たちにとって 光の時は絶え間ない拷問となる、しかし我が光を彼らの上に輝かせよう、この暗やみを我が光が貫き 穏やかな陽光は死の床に横たわる荒れ地のすべてをも生き返らせよう、闇はもはや くに民の上に影を映さない、我が光がその柔かいつぼみを元気づけ 陽光が花開かせ、地上の枝々は再び緑に変わる、祈り続けるように、我が子よ、愛が永遠にあなたを愛してい� �

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P7

'89・9・30

 

恐れないように、私、主がともにいる、一秒たりとも独りにしてはおかない。 悪魔が憤るのはもっともなのです、私が特別な仕方で愛する者たちを いかに憎んでいるかをあなたが知ったなら、そこで我が子よ なぜ攻撃されるかを理解しなさい、しかし私はマントの下に匿(かくま)って、あなたに触れさせはしない、そのため次に悪魔は 耳を傾ける霊魂たちの中にすばしこく 悪意に満ちて入り込み、あなたを完全に黙らせようと これら悪魔の犠牲者たちを通り道に据えて 追い回させ迫害させる(*)。 サタンはこの者たちを武器として あなたを本当に黙らせる気です、それはあなたが 我が全権をもって与えた、真理を大声で告げ知らせ、すべての屋根上で叫ぶラッパのようだからです。 我が子よ、� ��び続けなさい、声高らかに叫び続けなさい: 私の言霊となりなさい、あなたの声は我が声であり、あなたは我が口から出た者だからです、そこで叫び続けなさい、くに民に向かって叫び 真理を告げなさい! 怖れなくてよい ♡ 私を迫害する者たちは皆吹き飛ばされよう、実はあなたではなく私を迫害しているからです。 偽りは真理を、闇は光を迫害している、しかし最後には、私、主が勝利しよう ♡ そばにとどまっていなさい、小さな者よ、私に身を捧げ、たえずあなたのうちで 息をさせなさい、頭を−横たえさせてくれるように。 我が平安を受けなさい。 信仰を強め、私を喜ばせてほしい ♡ 来なさい、「私たち」?

 *いつかの幻視を思い出しました。(ノート31、'98・1・29)

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P162

'98・6・22 (つづき)

 


あなたのうちに私は増し加わり その一方であなたを小さな者にしていくという 惜しげない好意を示そう。 あなたのうちは夜明けとなり 夜闇は消えていく。

 

 

7.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P165

 

 まだ私が神聖な希望の海の中に自分を見失い、溺れていたあいだに愛するイエスは再びご自分をお現しになり、今度は愛徳についてお話しになりました。それは全ての徳の中で最も秀でたものですが、他の二つの徳とは姉妹関係になり、あたかもただ一つの徳のようでありますが、それらは三つの別々な徳です。「事実、もしちょっと火を眺め、それについて考えてみれば、あなたはすぐにこのお互いに一致した三つの徳についてのおぼろげな観念を持つことができるでしょう。火をつけたとたん、最初にわたしたちの目に映るのは、周り全体に生き生きとした明かりを放つ光です。光とは、洗礼によってキリスト信者の霊魂の中にわたしが呼び起こした信仰のシンボルです。次にその周りには、光とともに熱が発散す� ��のを感じるでしょう。それからだんだんとその光がほとんど消えるまで弱まっていくと、火によって生じた熱は、火が完全に消えてしまうまで、もっと強い熱を出します。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P214

 

我が娘よ、私は世界を光で満たす太陽である。ある霊魂のうちに私が存在するとき、その霊魂の中にもう一つの太陽が再生産される。そしてその光線を通して、生まれた太陽同士お互いに絶え間ない矢を送り合う。するとこの光の間に犠牲、卑しめ、反対、苦しみ、その他の雲が産み出される。もしこれらの光が本当のものであるならば、それは多くの力を有して、絶えず矢を送って、これらの雲の上に勝利をおさめ、雲を光に変える。ところがもしそれが見かけだおしの偽物であると、光の間に生み出される雲は、この光を闇に変える力を獲得することになる。

 これが、私であるか、それとも悪魔であるかを理解するためのもっとも確かなしるしである。人がこのしるしを受けた後その人は、闇ではなく光である真理を宣言するために、その生活を捧げることができる。

 

 

8.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P128

 

 だが、数世紀このかた、世においてこの推進力を享受した人々の数は少ない。なぜなら世間はいつもより闇を好んだからだ。わたしのむごたらしい死によって、わたしはあなたたちのあいだに完全な聖霊の到来を完成させた。ところが数世紀このかた、人類は聖霊をますます拒んでいる。わたしを拒み、を拒んだように。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P134

 

 あなたたちはわたしを愛していない。それがすべてだ。愛するということは、時々上辺だけの社交的表敬訪問を行うことではない。愛するということは、もう一つの霊魂を養う、唯一の火と一致し、解け合い、点火した霊魂と共に生きることだ。その時、この融合のなかに理解も生まれる。

 

 



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