2012年6月4日月曜日



   日本フリーメソジスト・大阪城東基督教会

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(聖書)

大阪の観光名所といえば、一度は足を運ばれる大阪城。
  そのお城に最も近い教会が、私たちの大阪城東基督教会です。

教会がある、ここ城東区鴫野の町は、OBP(大阪ビジネスパーク)の東側、
  マンションが建ち並ぶ住宅街です。

その町の協力のもと、教会から生み出された「全愛幼稚園」は、
  50年の歩みを数え、それゆえキリスト教保育を経験し、
  卒園された方々は、とりわけ近所には大勢おられます。

通りに掲げられた教会の看板には、
  「温もりある神の愛を受けて、湧き上がる希望に生きる教会」と紹介され、
   平日は地域の幼稚園として園児の声が聞こ え、
   日曜日には朝から、喜びの讃美の声が響いています。

聖日礼拝(日曜日)は、午前10時30分から始まり、
  礼拝出席者は神さまの愛の豊かさに感激し、
  頑固な心が不思議と変えられていく経験をします。

いつまでも残るもの、信じ合える事、望みを持つ事、愛を得て与える事が、
  現実のものとして、あなたの人生にもやってくるのです。嬉しいことです。

最寄の駅は、JR環状線、京橋駅(南口より)下車、徒歩10分です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  536ー0014 大阪市城東区鴫野西3-6-2 牧師 篠原利治 (06)6961-1619

皆さん、こんにちは。お元気でしょうか。

毎日、東日本大震災を覚え、深く祈りつつ、
過ごしておられる事と思います。

明日の礼拝においても、FM東部教区・教会の報告を交え、
祈りの時を持ちたいと思います。

明日は、3月第三聖日礼拝式。いのちの水、
3月生まれ・誕生祝福の時があります。

礼拝後は交わりと、最後に掃除をいたします。
ご協力ください。

メッセージは、マタイ4章より。
「試誘の時の助け」と題して、準備しています。

贖ないとは、踏み直しの意味あり。
明日も、この痛んだ日本を愛し、癒し主が働いて
おられる事を覚え、主を礼拝したいと思います。

明日も、希望を持って集まり、祈りましょう。

2012年6月2日土曜日


9月24日(水) 

貧しくもせず、金持ちにもせず、
わたしたのために定められたパンでわたしを養ってください。
飽き足りれば、裏切り
主など何者か、と言うおそれがあります。
貧しければ、盗みを働き
わたしの神の御名を汚しかねません。
(箴言30・8-9、新共同訳聖書)

主に忠実であろうとするこの人の願いは
とても謙虚・堅実・健全。
バランスの良い食事・運動・休息で
心身の健康を保って天寿を全うしようとする人のよう。

それに比べると、イエスの招きは過激だ。
まるで心身を鍛え抜いて
オリンピックの金メダルを目指すアスリートの監督のよう。

2012年6月1日金曜日


なぜ福音にしたがって生きるかという理由となぜ神権があるかという理由を理解することによって,あらゆることに神の目的を見いだすことができます。

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神権を持つ兄弟たちとともに,イエス・キリストの福音の不思議とすばらしさを祝うこの機会を喜びとしています。皆さんの信仰,立派な働き,変わることない義を称賛します。

わたしたちは皆,聖なる神権の権能と力を託された人から神の神権に聖任されているという,一つのきずなで結ばれています。これは大いなる祝福であり,神聖な責任です。

なぜという問いの持つ力

わたしはこの数日,神権者として教会で受けた二つの重要な召しについて考えてきました。

一つ目は執事のときに受けた召しです。ドイツのフランクフルトで,わたしは家族とともにある小さな支部に出席していました。支部にはすばらしい人がたくさんいました。支部会長のランツシュルツ兄弟がその一人でした。いつも少しまじめで,固い感じがして,たいてい黒っぽいスーツを着ている人でしたが,わたしは彼を心から尊敬していました。少年時代には,支部会長がどれほど古くさいか友達と冗談を言ったものでした。

今このことを考えると笑ってしまいます。今日教会の青少年はわたしを同じように見ているかもしれないからです。

ある日曜日,ランツシュルツ会長はわたしに話があると言いました。とっさに,「何か悪いことをしただろうか」と考えました。支部会長と執事の話し合いの引き金となったかもしれない自分の振る舞いを急いであれこれ考えました。

集会所に支部会長室がなかったので,ランツシュルツ会長は小さな教室にわたしを招き入れました。そして,執事定員会会長として奉仕する召しをわたしに告げたのです。

支部会長は「これは大切な責任ですよ」と言ってから,時間を取って,理由を説明しました。主と支部会長がわたしに何を期待しておられるか,またわたしがどのように助けを受けられるかを説明してくれました。

支部会長が何を言ったかはほとんど忘れてしまいましたが,自分がどう感じたかははっきりと覚えています。彼が話している間,聖なる神の御霊を感じました。この教会が救い主の教会であり,支部会長から受けた召しが聖霊によって霊感を受けたものであることを感じました。わたしはちょっとだけ大人になったような気持ちでその小さな教室を後にしたことを覚えています。

それから60年近くがたちますが,そのとき感じた信頼と愛は今も大切にしています。

2012年5月30日水曜日


1:ちーぴっと(大阪府):2010/11/03(水) 16:05:05.18 ID:Yx9An/36P

2ちゃんねるで誹謗…北大生の低レベル悪口

今回は、先々週金曜(22日)に判決公判が行われた畠山育人被告人の裁判の話。
罪名は、名誉毀損。事件の中身は逮捕時の記事から。

7月11日投開票の参院選比例代表に「たちあがれ日本」から立候補し落選した拓殖大客員教授の藤井厳喜氏(57)をインターネット掲示板「2ちゃんねる」で誹謗中傷する書き込みをしたとして警視庁小岩署は、名誉毀損の疑いで、北海道大学理学部4年生畠山育人容疑者(23)を逮捕した。

同署によると、畠山容疑者は、「今年4月頃に2ちゃんねるで藤井氏を知り、私の思想と合わず気に食わなかった」と供述している。法廷には被告人の父親が情状証人として出廷。弁護人からの質問に対して、今後の監督を約束した後、検察官からの質問です。

検察官 「今、息子さんは保釈されていますけど、ネット環境は?」
証人 「あります」
検察官 「なくすおつもりは?」
証人 「学業のため、ネットなしでは……」
検察官 「それは学校からの指示なんですか?」
証人 「はい」
検察官 「息子さんは留年していますよね。その理由はなんですか?」
証人 「ネットに夢中になって、授業に参加しなかったと聞いています」
検察官 「それこそ、ネットは停止した方がいいのではないですか?」
証人 「切断して、学業を続けられるのであれば……」

裁判官 「それはそうなんだけど、今後どうしなきゃいけない? 何を変えなきゃいけない?」
被告人 「ネットにハマって、留年して、そして、こんなことをしたのは、学問も生活もおろそかになってたからだと思います」
裁判官 「学業以前に人間として、どう考えていくかだよね。……それは、……君もわかっているな」


8:ドンペンくん(兵庫県):2010/11/03(水) 16:06:24.08 ID:2Z/fQVar0

またネットは悪かw

 

58:アメリちゃん(三重県):2010/11/03(水) 16:13:47.74 ID:6MFIKDfb0

2012年5月18日金曜日


昭和24年3月

日本基督教団「信仰問答」日本基督教団信仰職制委員会より

聖書はどのような書であるか

聖書は神がそのみ旨を啓示するために与えたもうた神の言葉であって、預言者と使徒が御霊にみちびかれて書き記したものであり、教会がこれを聖典として受け入れ、信仰と生活との唯一の規範としたものである。

聖書は何を教えるか。

旧約は律法と預言とをもってイエス・キリストを証しし,新約は、その成就としてイエス・キリストの福音を告げ知らすものである。

その福音とは何であるか。

福音とは喜ばしい音ずれの意味であって、神がイエス・キリストによって救いの恩寵と真理とを掲示したもうたことである。

2012年5月16日水曜日


その意味をよく知らず、やり過ごしたりしがちな、普段使わない葬儀用語や死にまつわることばの意味を考えます。

【不帰(ふき)の客】
再び帰らない客、すなわち死ぬということを婉曲に言ったことばです。「父はついに不帰の客となった」などというように使います。

【訃報(ふほう)】
訃音(ふいん)、悲報ともいいますが、人の死を知らせる知らせのことをいいます。"訃"のつくりの"ト"の文字は「倒れる」という意味で、"訃"という文字だけで「死んだ知らせ」という意味があるのです。

【不例(ふれい)】
普通ではないという意味から、高貴な人の病気のことを指すことばです。

2012年5月15日火曜日


 日本におけるイスラム教は今回4回目で、ラストとします。

 以前のものは、以下です。

  ■日本におけるイスラム教 〜一夫多妻制〜
  ■日本におけるイスラム教 〜女性に差別的なのか?〜
  ■日本におけるイスラム教 〜お祈り、礼拝とスカーフ〜

 イスラム教徒が日本で暮らす上でかなり厄介なのが、葬儀の問題のようです。

 日本式の葬式で手を合わせてもよい?(要登録 日経ビジネスオンライン)では、日本人女性ムスリムが同じイスラム教徒を内部から批判しています。

"そもそも、葬儀に参列することを嫌がるムスリムたちは、なぜ嫌がるのだろうか?

 この日本人女性ムスリムの見方は手厳しい。

 「頭の堅いイスラム教徒って多いですから。堅いっていうか自分たちの宗教こそがすべてだと思っている。だから日本の宗教は恐らく邪教なんですよね。そこで行われる儀式に参加することは邪教の儀式に参加することになる」

 イスラム教がアラビア半島から世界中に広まる中で土着の文化や慣習と混ざり合うこともあった。そのため、イスラム教の知識を生活の中で親から授かった外国人ムスリムの中には、イスラム教の教えと自国の文化・慣習を混同している人がいる。 外国人� ��スリムと結婚するために入信した日本人ムスリムは、イスラム教の知識がほとんどない場合が少なくない。外国ムスリムである配偶者に「これがイスラム教での正しいやり方だ」と言われると反論することは難しい。

 このため、この女性は、だからこそ日本人ムスリムがイスラム教をきちんと勉強するべきだと考える。

2012年5月13日日曜日


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2012年5月12日土曜日


■人の自由意志と神の予定について

クリスチャン信仰において最も重要なポイントは、信仰と従順です。信仰とは神の意志、招き、言葉に対する私たち人の側の積極的な応答です。そして救いを受けることができたのは、私たちの行いによるのではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によるとあります(ローマ書、エペソ書)。神の前で何かの善行とか修行をして、ある一定の神の要求されるレベルに到達したから救いの認証を受けるわけではありません。人は誰も自分の行いによっては義とされ得ません。ただイエスを信じる時、救いは無代価で与えられます。それは誰も神のみ前で誇ることがないためです。

とこ� �がここに人の自由意志と神の予定に関してとても深刻な問題が生じるのです。

2012年5月10日木曜日


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2012年5月8日火曜日


作詞・作曲 拓真
編曲 Negative Dreamer

歌詞↓

*誰のため、何のため?
あなたのため? 自分のため
社会のため上司のため?
全てはお客様のため?*

バカ言うな誰もお前に 頭下げるためにやってんじゃねぇ!
自分の充実、金銭獲得 欲しいもん手に入れるため
所詮 自分 主体  したい事 やるための踏み台

お客様が神様と思ってる客なんざお断り

Did you think? コッチ側のこと
全部気にしろとは言わないけど
お前だって 言われてヤなことや
されて困る事があんだろ?

2012年5月7日月曜日


 

 人は、往々にして、「自分はなぜ生まれてきたのか?」などとか、「生まれてきた来た理由」、つまり、「自らの存在の理由や意味」を問うものであるが、しかしながら、私は、そういった、「生まれた理由」を永延に問い続けることは、意味のあることであるないとは思わない。


 

それはなぜかと言えば、そういった類の問いは、人が、一生かけて問うたとしても、容易には、解答が出るものではないと考えるからである。


 

2012年5月5日土曜日


大地震が発生しました。被害は甚大で多くの死傷者や不明者が出ています。また、原子力発電所からの放射能漏れが心配されています。まさかわが国で、このようなことが起ころうとは、このようなニュース映像を目にしようとは、ほとんどの人はこのようなことが現実なのだろうかと信じられない気持ちなのではないでしょうか。

キリスト教において、災害と神とはどのような関係にあるのでしょうか。キリスト教においては、この世にありとあらゆるすべてのものは神の創造によるものです。人にとって良いものも悪いものも直接の神の業によるものです。もちろん地震も台風も神が直接起こしているわけです。

新約聖書においては、黙示録に天国や地獄、恐ろしい戦争や災害についての記述があるのですが、普段口を酸っぱ くして「黙示録は暗号文なのだから、直接読んで理解できることはその通りの意味ではない」のだと主張しているにもかかわらず、キリスト教徒は「黙示録にはっきり書いてあるではないか、お前は文盲か」と批判されます。キリスト教徒が黙示録をそのままにしか理解できないというのであれば、黙示録に、神は災害と戦争をもたらすものだと書かれているのですから、この地震による災害は神がもたらしたものだと考えるべきでしょう。また、同書には神によって「ハルマゲドン」がもたらされるのであるとも書かれています。ですので、あらゆる戦争は神によるハルマゲドンの予形だと捉えることも可能です。

ソーシャルネットワークの自称クリスチャンである方々は「お祈りします」と発言しているようですが、あなた方ご自 身の信仰対象である神様が引き起こした災害によって被害を受けた方々に対して「お祈りします」というのはどういう意味なのでしょうか。誰に、何をお祈りするのでしょうか、その内容を具体的に教えていただきたいものです。

ソドムの例にもあるように、神は気に入らない人々を自然災害という表れを用いて殲滅するのです。「それは旧約だ」という言い訳は聞きません。暗号でないというのであれば、黙示録にはもっとあからさまに反対分子を残酷に殲滅する予告があります。

今回の地震による災害も、神の意思の表れであって、被害者は神に反するのもので、元々罰を受けるべき悪人だったのだ、といわねばなりません。

神に従順な僕であるというのであればそうするべきです。

はじめまして。いつもブログを拝見しております。
誤解のありませんように私が現在求道中の身であることを先に明かしておきます。
神は今は現実の事柄に直接関与してはおらず、罪人は死後に裁かれるのであって、罰という形で何かが起こったりするわけではないと理解しています。
だから、悪人どもが罰で死ぬということは起こりえないです。
ですから被災者の為に祈るのは矛盾はしてないと思うのですがいかがでしょうか。

みいさん、コメントありがとうございます。
また、いつもご覧くださっているとのこと、重ねてありがとうございます。

信仰について、いろいろな考え方や方法があって、どれが良いとか悪いとかいうことは無いだろうと思います。私の考えとあなたの考えが違うことも別に不思議ではありません。

ただ、せっかく疑問点を挙げておられますので、私個人の主観的な意見を述べさせていただくのであれば・・

仮に神がこの世のことに関知していないのであれば、誰も教会へ行く必要が無いことになってしまうでしょう。また、この世のことに関知しないのであれば、神は何を基準にして、死後に裁けばよいのでしょうか、今も昔も、神はこの世に君臨し、大いに関知するところであればこそ、死後を云々できるのです。

キリスト教徒にとってもっとも恐るべきものは「死」です。特に、神に従う決心をする前に災害で死んでしまうことは悪いことなのであって、そのように死ぬ者は、彼ら自身の悪の結果であると理解すべきだと言えるでしょう。

キリスト教徒は神がいてすべての現実世界を支配している、と考えています。「神は全宇宙の主宰者である」という考えです。庭の木の葉っぱが一枚枯れ落ちたことまで承知している、というわけです。

当然地震も台風も神の手によるものです。それでは、生き残った神の信者は被災者のために何を祈るのでしょうか、神の業は完璧で一分の隙も無いはずです。つまり、神の信者は神の業を褒め称えるべき、ということにならないでしょうか、自然災害は神の業なのであって、良い印なのだと、そう理解せねばならないのではないですか。

「ありがとうございます」こう祈るべきだということになるでしょう。違うでしょうか。

ずいぶん嫌なことを申し上げるようですが、言いたいことは現実を見るべきだということです。何にでも理屈というものがあります。キリスト教徒であるということはどういうことなのか、現実を知ってください。理屈をまげて美化してはいけないということです。宗教とはそういうものだという現実です。

またコメントお待ちしています。

クッキングホイルさん、とても丁寧な回答ありがとうございます。
確かに、私が最初に書いたような神だったら人間にとってはどうでもいいような存在になってしまいますね。
全ては神の意志によるということを失念しておりました。
「お祈り」に関してはよくわからなくなってしまいました。そもそも誰か他人の為に祈るということは意味の有ることなのでしょうか。祈りとは神への賛美と感謝だと思いますが、それは本人以外が代わりにできるようなものではないはずです。
現実を知れというのは仰るとおりです。まだまだ私にはキリスト教、キリスト教徒の理解が不足しているということを痛感いたしました。少しずつ、理解していきたいと思っています。
これからの記事も楽しみにしています。

みいさん、コメントありがとうございます!
あなたは、冷静で、感情的にならずに対話ができる方なのですね。感服しました。これからもコメントお寄せくださいね。

僕の祈りについての考えは、記事「祈りとは」

今回のような災害を、一般のキリスト教会では「神の試練」と表現していると思います。これについてはあなたのお考えにまかせます。僕も意見は言わないでおくことにします。

それでは。

はじめまして。地震と聖書で検索したらここにたどりつきました。(長文失礼します・・・)私の叔母さんがクリスチャンで、私に神様を信じてもらいたいそうなんですが(私は無宗教です)それで奥山実さんの「世の終わりが来る!」なんていう本を貸してもらい、読んでるうちに東北で地震が起きて、本に書いてあることが本当だったら嫌だな・・・と思って、このホームページに来ました。クッキングホイルさんの文を読んでいたら、なんだか心が楽になりました。ありがとうございます<(_ _)>叔母さんには三浦綾子さんの著書も貸してもらって、読んだ後は感動して洗礼してもらおうかなと思ったりもしましたが、やっぱりなんだか・・・って感じです。まさに迷える子羊というか(泣)誰かに聞いてもらいたかったので、コメントの場を設けてくださりありがとうございました(^^)/!

ラクダさん、コメントありがとうございます!

拙ブログが何かお役に立てたのでしょうか、とても光栄です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

おば様から信仰を持つようにと進められているのですね。親族にそういう人がいるのはとても始末の悪いことでしょうね。お察しいたします。

奥山実さんという方は福音派という部類の新興教派の指導者だと思いますが、同じキリスト教の中でもとても急進派といいますか、極端で偏った思想を主張する系統の方だと思います。アメリカでは、中絶する医師を殺害するような系統です。よくご注意ください。

三浦綾子さんの著作に感動された、ということですが、僕の観察では、彼女も偏った思想の一人のキリスト教徒に過ぎない、としか思えません。作品からは詭弁と言い訳しか見えてこないと思います。

特定の宗教に偏らないことが、人間としてまず望ましいことだと思います。機会があれば宗教愛好家の目をよく見てみてください。こちらの目を見ずに話します。対話ではなくて、一方的な主張しかできないようになってしまっているからです。

またコメントくださいね。お待ちしています。

早速の回答、ありがとうございます(^o^)>>特定の宗教に偏らない と回答してくださってますが、私なんかその最たるものだと思います・・・なんてったって、父方のおばあちゃんが善○教の信者で、お母さんの実家が神社やってて、叔母さん家が教会やってるから宗教に対しては敏感なんです・・・(泣笑)母方のおばあちゃん家で叔母さん家の悪口行ってたり叔母さん家で母方の家の見下げた発言聞いてるから子供心に複雑です・・・(笑)ややこしくてすみませんm(__)m >>中絶する医師を殺害!?わかりました! 三浦綾子さんの思想は偏ってるんですか>゜)))彡あまり深く考えずに読んでいたのでわかりませんでした^_^;いろいろ教えてくださってありがとうございます。甘ちゃんなので発見ばかりです。

ラクダさん、コメントありがとうございます!

ご家族の宗教、とても複雑なんですね。恐れ入りました。しかし大変なことですね。うまくかわしつつ日々つつがなくすごしてください。

まあ、僕自身も偏っていないかというと怪しいもんじゃないかとは思うのですが、宗教信者が自分自身の宗教をテーマにして作り上げた小説で、偏っていない作品なんて皆無でしょう。宗教小説なんてお経や聖書で十分です(笑)。

またいつでもコメントくださいね。お待ちしています。

こんばんは。黙示録についてインターネットで検索していたところこちらのHPに辿りついて、この記事を読ませて頂きました。
私はプロテスタントなのですが、こちらの記事を読んでいて私の理解とは少し違うところがあったので、書き込みをしています。

まず、黙示録に書いてあること(特に4章以降)は現時点ではまだ起こっていない事柄です。なぜなら、これらのことは再臨の後に起こるとされているからです。今回の地震も物凄い大惨事ではありましたが、黙示録の世界ではそれ以上にえげつない惨事が起こるのだと思います。今回起きた地震や、今までに世界各地で起こった紛争、戦争、自然災害などは、聖書の中のマタイ24章(特に3〜14節)にあたります。

とはいえ、地に起こる様々な出来事に神様が関与していることは確かです。しかし今回の地震も含めて、再臨前に起こるこのような災害等々は神の怒りや裁きとは違います。神の怒りや裁きは全て 、再臨後に起こるのです。

2012年5月4日金曜日


場所:ヨハン早稲田キリスト教会,ヨハン教会

早天祈祷会2006.11.23

聖書本文:ヨシュア記6:8-27

主題:神の徹底した裁きと救い

 

今日の本文はエリコ城の陥落の本文であります。主はヨルダン川を渡り、約束のイスラエルの地に辿りついてまず始めにエリコの城を攻める事を命じました。その為にすることは、まずエリコの城を攻める前に城の周りを毎日1回ずつ回ることを命じたのであります。そして7日目は城の周りを7回回り、その後にときの声をあげる事を神様は命じたのであります。ここにはどのような神様の御心があるのでしょうか?

 

まず、一つ目に神様は私達が主の御心と導きに従って神様の働きをすることを願っておられます。常識的に考えて、エリコの城を攻めるのにこのような働きは常識外れであります。

ヨシュア6:9 武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。

というように、契約の箱を担いだ祭司が真ん中を進み、その前と後ろを武装兵が守るという陣を敷いていました。しかし、契約の箱を担いだ祭司が戦いに役に立つことは考えられません。なぜ、神様はこのような配置で7日間もエリコ城を回ることを命じたのでしょうか?

まず、一つ目に、霊的な戦いは神様を中心にして戦うという事をイスラエルの兵に教えるためでもあります。エリコの戦いは、イスラエルの民が約束の地において初めての戦いでもあります。その中で、神様はイスラエルの民が自分達の力を頼りに戦うのではなく、何よりも神様を中心にして戦う事を心に留める必要がありました。それ故に、神様は神の箱を中心にして軍隊を布陣することで、そして7日間も回らせることで、この戦いは神様中心の戦いであることを強烈に認識させたものであります。私達の働きもそうです。全てのクリスチャンの働きは霊的な戦いの中にある事を心に留める必要があります。その中で私達は何よりも霊的な戦いの主権は神様が握っておられ、戦いを左右するのは神様であることを心に留めましょう。人間的な力に頼ってはならないのであります。

2012年5月2日水曜日


秋になると、かならず読みたくなる本があります。
それは、息子に秋に読んでもらったから、という理由が大きいのだけど。

なんとなく、気候もいいし、食べ物も美味しいわで
秋は旅に出たくなります。

いろいろな新しいものに出会いたくなります。

昨日の日経新聞の朝刊の中面の全面広告は旭化成でした。
そのコピーがよかったです。

昨日まで世界になかったものを。

企業の開発組があらゆるものを作り上げる力や内容に
ついてのコメントは差し控えることにして・・・。

でもこのコピー。 ぐっと来るものがありました。

自分の世界だけで見ると
旅に出れば、新しいものと出会います。
旅先で出会った友人は、昨日まで自分の世界になかったもの。
例えをあげたらきりがないほどに、それはあるわけで。

旅は、どこか違う土地に行かなくても
新学期も、新しい学校も、 どれも小さな旅だと思うのです。

2学期になって、周りの成長や自分の成長に戸惑っている子がいたら
この「きりぎりすくん」は、おすすめです。

2012年5月1日火曜日


死を直視する人生とは・・・?

  「人間、死ぬ時は死ぬもの。いたずらに恐れたところで、どうにもならない。死ぬことなど、くよくよ考えないで、生命保険でもかけて、後は、自分と他人(ひと)のために、今を精一杯生きることだ」と、多くの人々は考えるでしょう。

  また、ある人々は、「人間は必ず死ぬ。しかも、それがいつ来るかを知らない。この危機感が、重要であり、死の現実を避けないで、それを直視してこそ、生きている今を、大切に生きていけるのだ」と言われます。

  死と言う避けがたく、悲しい現実を、はかなむのでなく、むしろ、それをバネにして、強く生きていこうとするこの生き方は、確かに美しく立派です。しかし、よく見るとこの生き方の真相は、「死」を直視して、問題解決に積極的に取り組むと言うよりも、「死」を『所詮、どうすることもできない』、解決不可能な問題と決め込んでいる「対処療法的」な消極的態度が、その前提にあります。

  理論上は、美しく聞こえるこの考え方も、現実には、本当に死を「直視して」生きていると言えるか、疑わしい面があります。そもそも、一体、誰が、「人は、結局死ぬんだ」、と言う現実を、毎日、来る日も来る日も、直に見つめつつ、そこに希望と力、自由と喜びを発見できるでしょうか。フランスの哲人ラ・ロシュフコーは、「人間は、太陽と死は正視できない」と言いました。「私は、死を避けていない」と言う人でさえ、ほとんどの場合、現実には、「人は必ず死ぬ」と言う現実を、見つめるどころか、それを「忘れて」生きているからこそ、笑ったり、喜んだりしながら希望を持って生きていけるのではないでしょうか。

  何故なら、死の現実、死の持つ力は、考え方、見方次第で、簡単に、人生の「敵」から「味方」に、「のろい」から「祝福」に変わってしまうほど、単純で甘いものではないからです。

  アインシュタインは、「死を、私は、とうとう返済することのできなかった、昔の借金のように感じます」と評しました。また、死を前にして、たじろぐレオナルド・ダビンチと弟子達との会話がこのように記されています。「先生には、数々の素晴らしい業績や芸術作品があるではないですか」「今、死んでいく自分にとって、そんなものが何になる」「それでも、先生が教えられたことは、私たちの心の中にくっきりと焼き付いて生き続けます」「そういうお前たちも死んでいくのだ」。

2012年4月29日日曜日


1 :紀元前:2011/12/06(火) 14:29:41.04 ID:wsL94qnr
パーリー語経典「カーラーマ経」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。それは最高の自由
であり、最高に民主的です。...内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分からないほど、
いろんな教義を教える人がいる
ので、どうしたら良いでしょう」と質問したことに対し、ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれてい
るもので答えたものです。

初めの三項目は聞いたこと、あるいは勉強したことに関してです。

1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。

2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。

3.評判になっているからといって信じてはいけない。

四項は経典、あるいは教本、テキストについてです。教本の中にあるからといって信じてはいけない。

すべての面から見た本質とは何でしょうか。それは、
「サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ」、何ものも、私、私のものと執着するべきではない、
というブッダの言葉です。これが三蔵経の中のたった一粒のダイヤモンドです。

2 :紀元前:2011/12/06(火) 15:11:16.82 ID:wsL94qnr
「アートマンを、どのように捉えてますか。」「尊師よ、意なるもの、法界の我と捉えます。」
「遍行者よ、滅想受定は、無色界を越えてます。」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
3 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 06:47:26.95 ID:6Sza4Tnt
よく分からないね。北伝=大乗と言いたいの?
4 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 17:04:37.53 ID:I2IMghyR
>>どの経典が釈迦牟尼仏の教えをそのまま伝えているか真面目に議論してみたい(そうでないものはどれなのかも)
北伝と南伝の違いは、スリランカのローカル部派由来か、インドに残った主流派部派由来かの違いで
スリランカの経典でどうこうは根拠になりえない。
『般若心経は間違い?』
5 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 17:33:26.30 ID:I2IMghyR
釈迦一代五時継図
大論に云く「十九出家、三十成道、八十入滅」文。此の論は竜樹菩薩の造、寿命三百年、三十万偈
の論師なり。付法蔵の第十三、仏滅後七百年の人なり。

十二因縁

...それは大般若経に載っている。

6 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 17:36:02.86 ID:6Sza4Tnt
スマナサーラ(笑
語る価値もない。
7 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 17:40:22.36 ID:kQmwQPAe
>1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。

>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。

>3.評判になっているからといって信じてはいけない。

これを言っちゃあ南伝も同じ。
北・南伝も文字にされた時代は同じ。
それに南伝経典にも救世主・転輪聖王・マイトレーヤの預言経が存在をする。
この思想観は遥か釈迦牟爾以前の時代に存在したミトラ教の思想へ回帰する。
釈迦も当然これを知って説法したと思われる。

8 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:05:50.39 ID:6Sza4Tnt
>>7
>これを言っちゃあ南伝も同じ。

そうなんだよね。
だから最初これみたとき、あれ?なんでタイトルが北伝の誤り追求なのに
南伝の批判から始めたんだろうと思った。

いやまじめな話、何が言いたいのか訳分からん。

9 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:23:20.81 ID:I2IMghyR
自分の感じを言いますとね、あくまで個人的な印象ですがね、、、
北伝の不純ブツ(釈迦仏教以外の何らかの思想)混入度80〜90%
南伝の不純ブツ混入度30〜40%・・・・
有識者の方がた、どう判断されますか?是非ご意見お聞かせ下さいませw
10 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:26:41.85 ID:I2IMghyR
 ↑ 9の続き)
>北伝の不純ブツ(釈迦仏教以外の何らかの思想)混入度80〜90%
これには異論なし…いや、もっと多いかな?

>南伝の不純ブツ混入度30〜40%・・・・
逆じゃないかな?  本物がそのくらいの割合で、60〜70%は不純物かと…

11 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:31:35.45 ID:I2IMghyR
(参考)三蔵経の中のダイヤモンド
ttp://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
>私は、一般の知識人に対しては、三割は切り捨てるべきだと言います。
>考古学や科学、三蔵経に精通している学生になら、もう三割切り捨てるべきだと言います。
12 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:42:28.44 ID:6Sza4Tnt
いや、そもそも大乗は知ってる人は知ってると思うけど
釈尊の本来の教えに戻ろう、という復興運動だったんだよ。

例えば端的に言ってこのスレ自体
>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。
というのは南伝自身に当てはめる解釈も可能で、事実俺はそう思った。

つまり不純物というよりその言葉をどう解釈するか、という解釈を大事にしているわけ。
ちなみに字義通り解釈すればいい、というのは言葉の性質を知らない人の言葉。
言葉の意味は時代とともに意味が変遷する。

だからどちらがより本来の教えの意を汲んでいるか、なら
まじめな話、北伝>>>越えられない壁>>>南伝くらい差がある。
これは東南アジア行って彼らの仏教観見れば実感できる。

13 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:50:25.43 ID:6Sza4Tnt
>1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。

>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。

>3.評判になっているからといって信じてはいけない。

例えばこれは禅では不立文字、教下別伝と言ってその精神を受け継いでいる。
南伝はどうか。未だに時代に合わなくなった本来なら変えてもいい戒律も
変えないで教条主義に陥ってる、という具合。

14 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 18:56:48.88 ID:I2IMghyR
それらは南伝の60〜70%不純物なんしょ?

そーゆー喪家学会チン女炎みんたいな大乗大乗あほ
みたいなほざくシナ捏造経典惑溺論者がわきすぎた
せいでばれちゃったんだよ

15 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 18:58:57.60 ID:kQmwQPAe
はっきり言えば

戒と仏教の学問(慧)一筋で定を疎にしてる方の場合は
補足された北伝の物語なども理解できず断見に堕ちてるものが多い。
定に優れていても仏教の学問(慧)を疎かにしているものは
外側の世界に囚われて常見に堕ちてるものが多い。

16 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 19:00:10.87 ID:kQmwQPAe
どちらが正しいともいえない。
17 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 19:15:23.85 ID:XTqmT20m
あるインド人青年が自著のなかで記していた。
古来よりインド人は口承、口伝。家伝を重んじる性格がある。
情報の肝心な部分は直接にその人から教わらねば正確に伝わらない。
文章化された経典では教義の一応説明はしていても不足がある。
宗教の古典に属する仏典などもまったくその儘であろう。
卑近な一例である 我々が目にする、指圧、マッサージなども簡単な事は
説明書で可能であっても治療までは出来ないと思う。
 詰まり仏法の肝心な箇所の伝承は文字のみの伝達では不可能であると青年は記述する。
と言うことは相当なご案内パンフレットを書いても素人は騙せるのかも知れない。
18 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 19:24:35.81 ID:kQmwQPAe
縁起・五蘊の観察定は必須で己に世(三界)は五蘊色蘊によるが
世の物質に結晶学の法則が存在するように三界の精神形成にも法則が存在する。
四禅定をある程度観察すると四禅天はその観察を物語として説き教えていることを知る。
定を疎かにしてる方は観察されていないため
そのまま自我の受想行識にのみに囚われるために断見に堕ちやすい。
19 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 19:25:48.59 ID:kQmwQPAe
というか皆、断見に堕ちている。
20 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 19:34:35.42 ID:kQmwQPAe
そして断見に堕ちたものが言う決まり文句。

    (神は死んだ!アートマンは無いw)

じゃあアンタは何?w今日も飯食って糞してねるんでしょw

21 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 20:07:39.64 ID:I2IMghyR
アートマンは有るよ
アートマンがぶっ飛んだらブラフマンだよ
22 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 21:23:41.20 ID:kQmwQPAe
>アートマンがぶっ飛んだらブラフマンだよ

自我を越えて大我にいたるを梵我一如や即我宇宙や真我ともいう。
ここが自我の‏色受想行識を越えた自己の色受想行識(蘊界・大海)となる。
どちらも五陰(蘊)が形成する。
自我の‏五蘊を制してるというのは頭から壷を被った状態であり
自己の色受想行識(蘊界・大海)の‏五蘊を制して
悪魔は己に調伏され神は己に帰依すると説かれている意味を理解する。

23 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 21:38:41.24 ID:kQmwQPAe
>悪魔は己に調伏され神は己に帰依すると説かれている意味を理解する。

それは主体は己であり悪魔や神は外界の客体であり
客体を生み出しているのが主体の囚われ(煩悩)による五蘊で形成されていることを観察する。

24 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/07(水) 21:48:04.43 ID:kQmwQPAe
北伝も南伝も最後に大悟するところは同じ。

よって答えは>>16

25 :神も仏も名無しさん:2011/12/07(水) 21:55:23.54 ID:I2IMghyR
どっちも正しいとこ旨い成分はあるさ
5パーセントジュースか40パーセントジュースか
の違いだよ
しかし北は、セシウムも入ってる
(シナの核実験のも)
26 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 00:03:04.41 ID:6Sza4Tnt
>アートマンは有るよ

有るというのは常見で間違い。

というかずいぶんレベル低いな。。

27 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 00:34:03.80 ID:VdpvR4c/
>アートマンは有るよ

無いと思うのも死後は存在しないという見識と同じで断見で間違い。
それを形成せしめるもの自己の五蘊。

28 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 00:41:26.37 ID:vTLP1UZK
いやいやw
俺は「無い」とは言ってない。「有る」とも言ってない。
29 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 00:43:14.21 ID:VdpvR4c/
肉体と意識は五蘊と十二因縁によって妄執形成される。
起源の一元の奥の奥は輪廻する主体自体が無い。
30 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 00:48:53.58 ID:vTLP1UZK
>主体自体が無い

それも断見だなぁ
結局「主体」というものを想定してそれが無いと言ってるだけ。
奥の奥とか言ってるが物事を主体と客体に分ける物の見方から一歩も出てない。

っていうかそういう「有る」とか「無い」という
物の見方しか出来ないうちにあまりいろいろ考えても無駄だよ。

31 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 01:04:02.40 ID:VdpvR4c/
>>30
釈尊が無限の前世はだれであろう
あなたや私である。
これが真実のブラフマンの奥である。
これが理解できていない方は有身見を断つことはできない。
自我の固体を外界へ認識するからである。
意識の形態は上に行くほど一つに集約され下に行くほど分裂をする。
32 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 01:09:28.31 ID:VdpvR4c/
肉体を自己に例えれば60兆の細胞が自我である。
三界の精神形態も同じである。
輪廻の主体ではなく宇宙は三界の頂点の一つ存在が一度に観ている夢である。
前世と思うその記憶はパイプでしかない。
33 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 01:09:58.90 ID:vTLP1UZK
どんなに物事を複雑化したり構造化しても
物事を見る見方が変った訳じゃない。

それはあくまでも同じ見方でしかない。

例えて言うなら肉眼で肉体を見るか、レントゲンで写して内部の骨も見るかという違いでしかない。
どんなに奥に遡ろうがそいうのは邪見なんだよ。

34 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 05:17:15.69 ID:VdpvR4c/
>例えて言うなら肉眼で肉体を見るか、レントゲンで写して内部の骨も見るかという違いでしかない。
>どんなに奥に遡ろうがそいうのは邪見なんだよ。

それを説き唱えながら御主は今日も飯を食い屁をこき糞して小便たれて寝るであろうw
それを今ここで即刻棄てて入滅(死)してみよ。
できまいw
その事象を棚の上にあげて無に嵌り込んだ者を虚無といいそれが本当の邪見である。
そしてこの思考はオレはオレで他人他人である自我の邪見を助長させ現世の調和をかき乱す。
スリランカの僧侶が銃を取り内戦に参加するほど落ちぶれ堕落した考えとなる。
君は定もしておらず君は何も観察しておらずただの思考停止を悟りと思い込んでいるだけである。
はっきりいって如実知見をした者は2chにはおらん。

35 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 05:23:04.81 ID:VdpvR4c/
現実にプロの僧侶が如実知見などに至っていないから
2chは>>33のようなアマチュアだらけだな。
36 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 05:50:02.18 ID:VdpvR4c/
釈迦はケーヴァッダに識を越える時、色界も消えて欲界も消えると説き
内側に外界があり外界に内側など無いことを説く。
>>33は貪・瞋・癡(とん・じん・ち)三毒を離れる清浄行の意味さえも解るまい
これは定ではなく如実知見するものではなく三毒を離れる清浄行だけでは善行による天道である。
37 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 05:58:44.32 ID:VdpvR4c/
すなわち>>33が邪見と思い込む見解こそが天も存在せず
存在しないならば
清浄行も必要ないことになる邪見となる。
38 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 06:07:57.93 ID:vTLP1UZK
見解が間違いと思うなら、そう指摘すればいい。
それが出来ないからといって矛先を人格攻撃にするのはよくない。

あと、「無い」とも「有る」とも言わないのに、勝手に虚無と決めつけるのよくない。
さらに俺は僧侶ではないし、まして南伝テーラーワーダ側の人間でもない。
(大乗支持)

それでもこの程度の初歩的な間違いは指摘できる。
何も高度なこと言ってるわではないので。

39 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 06:15:19.02 ID:VdpvR4c/
>>1にはっきり言う。
現代の南伝で大悟(覚者)で至ったもの殆どいないだろう。
そして清浄行一筋に囚われているだろう。
スリランカ(内戦)仏教にタイ仏教の現状を観れば一目瞭然。
北伝の空海?まだ北伝の空海のほうが?いや宇宙(大日如来)止まりかなw
ケーヴァッダの説法と同様を理解していれば如実知見だな。
40 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 06:23:11.98 ID:VdpvR4c/
>>38
欲界で自我に生きる人間とういう者は
肉体も意識も別々の固体の認識しかないのだよ。
そのため自我優先の生活となり調和は取れない。
それを一つ纏まり調和の取れた世界を仏教では梵天界と説く。
きみの思想というのは梵天世界をも破壊する思考でもあるんだよ。
41 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 06:25:36.41 ID:VdpvR4c/
そのような思考のものが梵天世界をも越え涅槃寂静することなどないよ。
42 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 06:28:27.15 ID:vTLP1UZK

それでその梵天界で生きているんですか?あなたは?
それがどんな世界か、単に想像でなく知ってると?
もしもそうでないならなぜそれを信じるのか?

>1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。

43 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 06:38:25.07 ID:VdpvR4c/
>それでもこの程度の初歩的な間違いは指摘できる。

いや解っていないだろう。
大乗は聖書の流れ組む思想だ。
解っていたら日輪の秘密を内側から悟るだろう。

44 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 06:45:47.09 ID:vTLP1UZK

仏教の元になる教えというのは聖書より古い。
また仏教はインド発祥というわけでもない。

で、日輪の秘密がなんだって?

45 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 11:54:48.54 ID:oY02pFiY
☆YUBIKITASU☆:
は他人を覚らせる智慧を持ってないから
覚ってない
46 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 13:37:34.49 ID:oY02pFiY
悟れる御仁よ
コレほんまか嘘カ教えて!
47 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 13:38:44.41 ID:VdpvR4c/
他人を覚らせる智慧を持ってないから
釈迦も総てのものを悟らせてることはできとらんよw
むしろ外道に強く感化されたものはね。
>>44-45
残念だが君らは無辺の四無量の意味さえも悟っていない。
君らは輪・和・内の外に出ている。
いや出されているのかなw
48 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 14:35:47.85 ID:oY02pFiY
本で読んだような受け売り話を偉そうに書くな!
糞が!!
49 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 17:14:09.67 ID:vTLP1UZK

久しぶりに来たけど板全体があきれるくらいにレベル低い。
前はもう少しまともな人もいたと思ったが、みんな馬鹿を放置して逃げたみたいだな。
50 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 17:58:31.15 ID:VdpvR4c/
ぷっW
いや違うな馬鹿と思うのは当人の鏡だw
バカボン=ヴァカバン(ヴャカバット)≒覚者だw
受けうをしてるのは君らだよ。
本の中の思い込みにより客体である外界を内側から観察していないから
眼暗蓋の脳内妄想を信じる。(内側に嵌り込んだ断見となる)
>>44
>仏教の元になる教えというのは聖書より古い。
>また仏教はインド発祥というわけでもない。

どのように古いのかな?仏教は同じアンチヴェーダとしてジャイナ教と並び同時代に現れ
アンチといえど釈尊はヴェーダに中に真理を見出したバラモンを正そうとしやのが起源である。
そのバラモンの起源はアーリア人がミトラ教時代の思想をインドに持ち込んだものであり
そのミトラ時代の思想がイランの地域に持ち込まれたものが後のゾロアスター教である。
釈尊を太陽の末裔と讃えるのはミトラ時代の思想観によるものである。
アーリア人が対抗意識した民族がユダヤ民族である。
旧約聖書は原始仏教より遥かに古く新訳聖書は原始仏教後の時代である。
イエス・キリストの聖誕祭はミトラの祝祭日を取り入れたものである。
釈尊の全世である本生経の死はイエスの磔刑である。
色界はただの妄想ではない世に映し出されて現存(した)するものである。
時代が違うって?時間の概念は欲界にしかない。
三界の輪というのは頂点が過去現在未来を同時に観ている夢(妄執)であるといっただろ。
その三界の思想観もシュメール文明以前からのものであり当時から三っつの神を据えており
それが後の仏教の応身・報身・法身の三尊佛である。
さらに釈尊の前世は転輪聖王でありキリスト教と結ぶものが日輪の秘密の一部である。
これが真の色界(外側・客体)の観察(一部にすぎない)というものである。
そして並行して無色界(内側・主体)の観察へ入る。

51 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 18:07:43.85 ID:VdpvR4c/
君たちは目連尊者を殴り殺した異教徒みたいなもんよw
52 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 18:11:09.97 ID:vTLP1UZK

名指しで誰かを馬鹿と言ったわけではないが自分のことと思ったらしい。
多少は自覚症状があったか鏡でも見たのだろうか。
53 :☆YUBIKITASU☆:2011/12/08(木) 18:19:18.52 ID:VdpvR4c/
>>52
バカボン=ヴァカバン(ヴャカバット)≒覚者だw
空手馬鹿一代と並行してなw

駄目駄目だれも観察できてぇへんわ。

54 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 18:23:25.30 ID:vTLP1UZK

つ 当人の鏡
55 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw」:2011/12/08(木) 18:28:35.41 ID:VdpvR4c/
>つ 当人の鏡

なんだよ御前の母ちゃんデベソ状態で会話になっていな

世の福田が崩壊へ向かっているな。
死後に五陰を相続して
俺は俺、御前は御前で俺優先の欲界に彼らはまた生ずかw

56 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw」:2011/12/08(木) 18:43:00.34 ID:VdpvR4c/
シリコンで作ったダミー
57 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw」:2011/12/08(木) 18:43:50.80 ID:VdpvR4c/
>>46
シリコンで作ったダミー
58 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 20:05:47.24 ID:oY02pFiY
wネバ☆ゆびきたす☆リターナw
はネットからしか情報とってないやろ?

>>56, 57
はモノクロの解剖画像の話

59 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 20:36:40.49 ID:VdpvR4c/
>>58
カラーの解剖のがいいたいんだろ
あれくらいのダミーは映画やテレビ用で制作するところでも簡単に作るよ。
首がグニョグニョで硬直してないのに口も開かないし
切開した腹の肉がゴムのようにピュンと戻るし
シリコンゴムの特徴そのままでピンセット摘まんだ肝が単体で独立してて
血管などとも繋がってもいないし。
まだまだリアルさが足りないかなw
メスを入れたら血がシュワッと出るとかねw
60 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 21:36:15.08 ID:oY02pFiY
心臓が止まってる場合は出血せんよ
ヒトの話だけど






61 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 21:43:45.51 ID:oY02pFiY
The Truth is Out There-Ufo Fotos
62 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 22:00:59.93 ID:VdpvR4c/
>>61
捏造もあるから妄りに信用しないほうがいい。
異星人は仏典では欲天の存在として説かれ悪も善も両方存在をしている。
彼らの存在も元は我らと同じく一即一切萬法一帰からの存在でありその精神性は
この地球の人間より熟知しており寿命も遥かに長い。
63 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 22:03:22.83 ID:oY02pFiY
てか仏典(?)に説かれてる年齢の長さは
地球人の寿命と全く違うだろ?
64 :神も仏も名無しさん:2011/12/08(木) 22:20:45.29 ID:VdpvR4c/
>>63
寿命はピンからキリまである。
その中で地球人はあまりにも短かすぎる。
釈尊がサンカーシャから天に登り諸天に法を説き帝釈天と共に地に下った話は
もちろん異星人とUFO(宇宙船)。
65 :神も仏も名無しさん:2011/12/09(金) 13:51:19.07 ID:vmnMpnDd
http://www.youtube.com/watch?v=00YQIcCqhX4&feature=fvwrel
66 :神も仏も名無しさん:2011/12/09(金) 16:15:01.97 ID:vmnMpnDd
UFO in Japan. Peru 8/25/2011

67 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw:2011/12/09(金) 18:31:58.35 ID:lSxSeXIL
>>66
最近に始まったことではなく大昔から監視(見守る)されているよ。
渦を巻いているのはUFOではまくミサイルの打ち上げ失敗は既出。
__________________________________
シュメールの粘土板と太陽系第12番目惑星

さて、それではシュメール文明は春分点の移動についてどこから知識を得たのだろうか?
これについてシュメール人自身は「アヌンナキから知識を得た」との記録を残している。
「アヌンナキ」とは古代シュメール語で「天より地に降り来たりし者」という意味だ。

日本超古代史とシュメール人

九州の不思議発見 押戸石(押戸ノ石)編 2005.8

「阿蘇外輪山の草原の丘に大小数百個の石群があり、その中で最大の石が通称「押戸石」と呼ばれている。
頂上付近の巨石には古代文字(ペトログラフ)が発見されシュメール系海洋民俗の祭礼の場であったと言われている。」

宮崎神話とその舞台 <天孫降臨>

ここの地中には当時<天孫降臨>の宇宙船が埋められているよ。
             ↓

宇宙船の推進力は石の持つ波動を使う。

68 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw:2011/12/10(土) 05:53:37.79 ID:RF3/4MU7
>>49
御前も逃げたのかw
何を持ってしてレベルが低い?
高貴な仏教知識を披露したらレベルが高いのか?
そんな奴らは仏教大学を出ている者など五万といるだろうよ。
そして煩悩の赴くままに生きている者が殆どでしかない。
69 :神も仏も名無しさん:2011/12/10(土) 15:24:31.56 ID:2QkUf2kQ
REAL ALIEN UFO IN SPACE REAL NASA FOOTAGE

Nibiru 2012 - The end of the World HD

70 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw:2011/12/10(土) 18:20:18.11 ID:RF3/4MU7
>>68
宇宙ゴミの可能性もあるね。
私がコンタクトした宇宙船は卵型(楕円)宇宙船と黄金のアダムスキー型宇宙船で
千里眼を通してその基地を見せられもした。(草木の無い地表と山で地球じゃないな)
卵型(楕円)宇宙船はファティマの奇跡で聖母が乗った宇宙船と同じ。
71 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw:2011/12/10(土) 18:22:37.57 ID:RF3/4MU7
>>69
2012年とかでなくまだまだ生きようが今すぐ死んでも囚われののない状態にしておけばいい。
世界が現状の状態で救済されるのかどうか?下記(リンク)をミクロてして地球をマクロとして考察してみればいい。
____________________________________________________________
(釈迦族)サッカー王国の滅亡
仏陀が悟りを開いてまだ間もない頃、コサラー国のパセーナディー王は、サッカー族の女性を自分の妻として差し出すよう、
サッカー族に命じる。サッカー族は、パセーナディー王と縁戚になることを快く思わず、マハーナーマと言う者の婢(しもべ)の娘を偽って差し出す。
生まれた王子(ヴィデゥーダッバ)が成長し 8歳になったとき、カピラバッツに留学するが、自分の母がサッカー族の女性ではなく、婢(しもべ)の娘であることを知り、
サッカー族に怨みをいだく。やがてヴィデゥーダッバは王となり、幼少の時の怨みをはらすべく、サッカー国に攻め入ろうとする。仏陀が、サッカー国の手前で
ヴィデゥーダッバ王を制するが、ヴィデゥーダッバ王は、三度目に、ついに攻め入る。
サッカー族の人々は、仏教に帰依しており虫すら害することを忌避していたため、戦わずしてカピラバッツ城を開け渡す。ヴィデゥーダッバ王は、
カピラバッツ城を焼はらい、破壊する。
その後の、ヴィデゥーダッバ王の話
ヴィデゥーダッバ王がカピラバッツ城を攻め滅ばしてサーヴァッチーに帰ってみると、息子のジェータ太子が妓女と遊び戯れていた。
怒った王は太子を切殺してしまう。
仏陀は、ヴィデゥーダッバ王とその兵達がことごとく滅ぶであろうと予告する。 7日後、王とその兵達、女達がアチラヴァッチー河の傍で
娯楽にふけっているとき、突然暴風と洪水が起こり、全員が滅んでしまう。
■ [参考]
□ 仏教聖典 / 友松圓諦著、講談社学術文庫、昭和56年8月10日発行
第45章 カピラ城の滅亡(P362-372)
原典は「阿含経」
72 :wネバ☆ゆびきたす☆リターナw:2011/12/10(土) 18:25:37.48 ID:RF3/4MU7
>>70の訂正

>>68→>>69

73 :神も仏も名無しさん:2011/12/13(火) 21:20:41.18 ID:7mdlC1qV
京都のお坊さんなんかには死後、地獄に落ちる人が多いんだってw

地獄に行ったら、
日本の坊主ばかりで、
寂しくないそうだよ。

神仏を騙って商売してる者は最も深い地獄に堕ちます

2012年4月28日土曜日


こんにちは、No5です。

あまりにも、身も蓋も無いこと言ったので、質問者様を絶句させてしまったようです。

しかし、これだけをいわせてもらいますと、、、、

マハトマ・ガンジーはご存知の通り、ヒンドュー教徒です。

彼のイメージから平和的な宗教を想像する方もいらっしゃるかも知れませんが、

ガンジーがよく言う「コーランも、聖書も、(バカバット)ギーターも私にとっては同じくらい尊いものだ」という言葉に出てくる、

バカバット ギーター、 これは戦争の話です。

2012年4月26日木曜日


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2012年4月25日水曜日


今日はヨーロッパ人クルーと一緒にいました。

彼女と私は気が合うので、いつもいろんな話をします。

今日は彼女の話を聞いていたのですが、途中で彼女がアンチイスラムみたいな事を話し出しました。

そのアンチイスラムに対して私はイスラム擁護の言葉を吐く。

お互いに意見をぶつけるのですが、だからと言って友情にヒビが入る訳ではありません。

考え方は違っても、お互いに理解しあえるお友達です。

彼女の話をずっと聞いていたのですが、何かがひっかかる。

そしてわかった事は、なんと彼女の新しい彼がフランス系イスラム教徒と言うことでした。

ずっとイスラム教徒について否定的な事を言っていて、その時何か引っ掛かっていたのですが、新しい彼がイスラム教徒で、彼女は彼のまわ りの世界が理解出来ず悩んでいて、それが否定的な発言となっていました。

私は勘が鋭いのか!?笑

彼女も私もカトリック信者。

しかし私はイスラム教徒と仲良くやっている。

そう言っても、湾岸諸国のイスラム教徒とですが。

私は携帯電話の中に入っているある写真を見せました。

「誰、この人。」

そう彼女が言う。

「私じゃないの。わからないの?」

2012年4月23日月曜日


"シャルルの下では抜き方を教えてもらったというか。例えば日本だとこの組み合わせは100%ないけど向こうだったらありとか。美術的なものを○とする感覚がそこでようやく馴染んできたと思います"

→CHRISTIAN DADA 森川マサノリ 1/6

―東京に上京後はFAD3の企画をされていたそうですがなぜFAD3だったのでしょうか

そこの会社の取り扱いブランドを着ていたわけでもなかったですし、特別入りたかったということではありません。単純に就職しないとまずかった。最初は販売員で募集していて受けたのですが、裸にジャケット、それにニーハイブーツみたいな恰好で面接に行ったので「あなたには販売員は難しい」と言われたのを覚えています。それで落ちたと思ったら「企画でどうですか」と言ってくれて。Luciole jean pierreのデザイナーの大塩君も僕と同期入社なのですがミサンガを大量に付けて、マニキュアをピンクに塗って、髪も三つ編みでシノラーみたいな恰好だった。単純に目立つ2人を獲ったのかなって振り返るとそう思いますね。

―その当時は原宿界隈のストリートが凄く脚光を浴びていた時期だと思います。森川さん自身もtune等のスナップ雑誌にZOO(ズ‐)として頻繁に掲載されストリートから絶大な支持を受けていたと聞きます

雑誌には良く載せてもらいました。ストリートが凄く盛り上がっていた時代だと思います。勤務地が原宿だったのですが休憩時間にはわざわざ表参道のローソン前やGAP前でご飯食べたりして、昔のホコテンみたいなノリだったのかもしれません。

―みんなで集まっておしゃれな友達� �増やして情報交換をしたりしていたのでしょうか

2012年4月22日日曜日


</head><body id="readabilityBody" > <p class="MsoNormal"><b><span>手塚治虫「アドルフに告ぐ(下)」</span><span lang="EN-US"/></b></p> <p class="MsoNormal"><b><span>眠気覚ましでやったんですよ</span></b><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>懸命にお桂は峠の看病をする。「どうしてこんなに世話を焼くんだろうね。今夜初めて会った男なのに」そこに警察がやってくる。「島で殺人があった。三人殺され、一人は外人で、一人は大阪の捜査課の刑事だ。腕をケガした若い男は来なかったかね。峠という重要参考人だ」お桂は峠をかくまって知らぬぞんぜぬを通す。警察は帰り、峠は世話になったとお桂にわびる。「いいんですよ。これも何かの縁でしょうよ」「俺は確かに人間を撃った。しかし、こっちが撃たなきゃ殺されていた」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「刑事さんを殺したって本当ですか」「とんでもない。仁川刑事を殺したのはドイツ人の殺人鬼さ」俺にはもうツキがないと嘆く峠。「でも、お客さんにはいい人がいたでしょう」「そんな女はいないよ」「あきれた人。一生に一度ぐらい火みたいに女に焦がれてごらんな」「俺には弟との約束が生きがいだったんだ」朝にあって、お桂は峠を診察するよう、近くの医者に頼む。「わしゃー、けが人と死人は食傷気味なんじゃ。なにしろけが人二人、死人が三人かつぎ込まれたんじゃ。けが人の一人は岬の裏の小城っちゅう家の娘っ子でよ。その兄貴の辰蔵は刃物で刺されて死によるし。刑事とかいう人と、外国人が頭をぶちぬかれよるし、もう一人のケガ人は全身打撲の上、頭がいかれとるしよ」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>医者は峠に注射をうって帰る。そこへランプがやってきて、峠を殺そうとする。「貴様、防弾チョッキをつけていたのか。だから死なずにすんだのか」そして峠はランプを部屋からたたき出す。「トーゲ。俺は貴様を忘れんぞ。ローザの死をあながわせるためにも。貴様をとことん追いつめてやる」「どうしようと勝手だがな。文書だけは、もうてめーの手には入らないんだ」そして峠は重要参考人として警察に連れて行かれ、小城先生と再会する。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「小城先生。よく生きて。ランプに撃たれたのでは」「弾丸はそれたんです。気を失って意識が戻ったとき、いっさいが終わってました。血の海と死体。峠さんも賊ももう見えませんでした。近くを漁船が通り、助けられました。そして何もかも刑事さんに話しましたの。ごめんなさい。兄のために貴方まで」「それより兄さんがなくなられてお気の毒でした」峠はトイレに行く。そこで壁をたたく音が。「峠さん。小城です」「先生もトイレですか」「ここでしか、内密のお話はできませんもの。大事なことがあるんです。貴方は注意人物で見張られていますから」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>小城はヒットラーの文書を持っているという。「なんですって」「崖を降りようとしたとき、渚の岩に紙片が落ちていました」「本当ですか。あれ海に落ちてなかったんですか」「ええ」「ぼくにください」「貴方が見張られていることを忘れないでください。貴方がこれを持っていはりますと、いつかきっと官憲の手に渡りますのや」「その前に僕はそれを公表する」「危険です。ドイツと日本は友邦ですさかい。もしドイツ政府から正式に日本にその文書の返還を求められたら。貴方はどちらかに手ですぐに消されますわ。それより、とりあえず貴方のご存知ない人に私が頼んで預かってもらいましょう」「誰に?信用を置ける人ですか」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「神戸に私の教え子でユダヤ人がおります。文書の内容をよく言い含めて、時期が来るまで預からせます。絶対、信用できる子ですわ」「なるほど。ユダヤ人なら信用おけますな」そして峠は釈放され、仁川の娘の三重子がやってくる。「おとむらいをすませたら、お骨を持って、一緒に大阪に帰りましょう。今や、ひとりぼっち同士ですからな」「ええ」そこにお桂もやってくる。「やあ、おかみ。おかげで元気になったよ。それに嫌疑も晴れた」「よござんでしたね。大阪へ帰るんですか」「仁川刑事のお骨を拾ってな。おかみ、この人はなくなった刑事さんの忘れ形見だ」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>お桂は三重子をにらみつける。(この娘、この人に惚れている。こんな小娘にこの人を連れていかれてたまるもんか。私の男だよ)そして追ヶ浜の駅のホームで話し合う峠とお桂。「ほんとにお世話になった」「昨日の今頃でしたね。貴方がうちへやってきて、あれからまだ一日なんですねえ。長い一日でしたねえ」「なんとお礼いっていいかわからんよ」「あたしゃ眠気覚ましでやったんですよ。あの町にいると心もさびついてしまいますのさ。貴方が来ていい錆おとしになりましたよ。あんなところ、貴方みたいな人は二度と来ちゃいけませんよ」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「いや。きっとまた、おかみの店へ行くよ。なにもかも一段落したら」「貴方は二度と来ないわ。ただの客でしょ。それはそうと、おかみ、あんたの部屋にあった写真だが。おかみの好いた人だったんだね。警察であんたの身の上聞いたよ。あの男が戦死したなんて、信じてないんだろう。あの町に戻ってくると待っているだんろう」「もうやめてくださいよ。新派の芝居じゃあるまいし」「いや。俺も戦地へたたき出される身だからさ」「貴方みたいないい人が。いい人はみんな送り出されてしまうんですねえ。誰がこんな戦争を始めたんだろう。憎らしい」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>峠はお茶を買いに売店に行く。お桂へ三重子に話しかける。「仁川さんのお嬢さん。失礼だけどおいくつ」「数えで二十です」「そう。お父さんも亡くなったし、身を固めることも考えなきゃね。なんだったら私も探してあげましょうか」「いいんです」「好きな人でもいるの。でも、峠さんみたいな人は結婚したらダメよ」「なぜ」「ムキになるのね。あの人は戦地に送られ、敵に殺されるのがオチさ」「死んだのはお父さんだけで沢山。もう誰も殺させない」「女の愛なんて、戦争にはどうにもならないものなのよ」「峠さんは、あたし絶対に殺させないわ」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>峠とお桂はくちづけをかわす。「おかみ。大阪に来ないか」そして峠と三重子は大阪行きの汽車に乗る。しばらくホームにいたお桂は、駅を出てタクシーに乗る。「先に出ていった大阪行きに乗れるかしら」「あれは確か舞鶴で10分止まるはずや。よろしおま。やって見ましょ」「待って。追ヶ浜にやって」「追ヶ浜?」「そこが私を呼んでいるのさ」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>昭和15年1月。峠草平はぬしのいなくなった仁川刑事の家でささやかな正月を迎えていた。峠はゆうことのきかない左手を嘆く。「あの時、傷の治療をほっといて逃げ出した天罰かい」「きっとスジか神経が切れたままなんやわ」峠の左手を握り締める三重子。「毎日マッサージしてあげる。あたし、お父さんのいなくなったこの家にあなたにずーっと住んでいただこうと思っているのよ」「それは本当にありがたいけど、僕もいつまでもブラブラしているわけにいかんです」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>そして峠のところに召集令状が届く。しかし検査で不合格になり、峠は三重子のところに戻る。「左腕がつかいものにならんそうです」「じゃあ戦争に行かないですむんですか」「ああ。兵隊失格」「よかった。銃後だってお国に尽くすことはできますもん」「死ぬまで左手は自由がきくまいって結論すよ」「じゃあ、ずーっと戦争に行かずにすむじゃありませんか」「三重子さん。手がきかないのを喜んでいるんですか」「ごめんなさい。でも戦争に行ったら、左手どころか命を落とすかも。そうよ。命拾いしたのよ。峠さん、お父さんみたいにムダに命を捨てないで」「……」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span> <span lang="EN-US"/></span></p> <p class="MsoNormal"><b><span>お前の態度は男らしい</span></b><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>神戸で小城先生は駅前の喫茶店でアドルフ・カミルと会っていた。「小城先生。あけましておめでとう」「アドルフ・カミル。あなたいくつになったの」「12歳です」「アドルフ・カウフマンから便りある?」「あります。でも、あいつだんだんナチスにそまってきよって」「やっぱりねえ。実はねアドルフ。おりいってお願いしたいことがあるの」文書をアドルフに渡す小城先生。「これを命をかけて預かって欲しいの。これは、あなたたちドイツ人の運命がかかっている書類なんよ」「なんですって」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「ドイツを平和にする力がある書類やわ」「まさか」「ある人がドイツから送ってよこしたの」「あのお。ヒットラーの手紙じゃ」「え。大きい声出さんで。私ねえ、何も悪いことをしてないのに、つけまわされてるの」「知ってます。特高刑事」「シッ。今の日本はね、自由な思想を持っている人間は、みなアカだといわれるの。でも、あなたならよっぽどのことがない限り、にらまれることはまずないわ。誓って。誰にも絶対口外せんこと」「はい。誓います。安心してください。命にかけても守ります」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>書類をもってアドルフがパン屋に戻ると、そこではユダヤ人が不安そうに集まっていた。「ママ。なにかあったの」「なにかどころじゃないわよ。ナチスがね、ついにポーランドの私たちの神学校まで襲い出したんだよ」「なんてこった」ドイツ軍はポーランドになだれこみ、フィンランドにも侵入した。ワルシャワ陥落に一ヶ月かからなかった。そして恐るべき殺戮が行われたのである。ことにユダヤ人の摘発は狂ったように凄まじかった。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>ユダヤ人たちは大きな札をぶら下げられ、一人残らずゲットーへ送り込まれた。神聖であるべきユダヤ学校や教会も焼き払われ、ラビは処刑され、学生たちは強制労働に追い立てられて、野垂れ死にした。最も格式の高いミール神学校の学生たち500人はからくも祖国を脱出して、アメリカへ亡命しようと、ソ連の衛星国リトアニアに隠れていた。だが、そこも安全ではなかった。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「その人たちを救うことは私たちユダヤ民族のつとめなんだよ。その人たちを上海経由でこの神戸に連れてきて、アメリカ亡命まで住んでもらおう、とみんなで話し合ってるの」「この神戸に。どうやって連れてくるんだい」「どうするかねえ。神様が力を貸してくださるわ、きっと」書類を見つめるアドルフ。「おれの持っているものが神様のおめぐみかもしれない。これをパパに渡せば、もしかしたら救いの道が開けるかもしれない」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>そして、アドルフの父がリトアニアに行くことになる。「あなた。リトアニアはソ連と一緒にナチスと手を握った国でしょ。あそこは危ないわ」「だが、そこには救いを求めている同胞が500人も立ち往生しているだ。断じて日本に連れて行く」アドルフは父に文書を見せようとするが思いとどまり、戸棚に隠す。もし、その時、アドルフの父親が読んでいたら歴史は変わっていたかもしれない。イザーク・カミルは上海に向って旅立つ。それがアドルフ・カミルが見た最後の父の姿であった。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>リトアニアについたイザークであったが、ついた早々パスポートを盗まれてしまう。「大変だ。新しいパスポートの申請にドイツ領事館などに行けるものか。そんなところに出向いたらユダヤ人というだけで、拘置されてしまうだろう。どうしたらいいんだ」そしてイザークは捕まり、難民扱いされて、ドイツ送りになってしまう。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>アドルフ・カウフマンはAHSで訓練を行った後、クラスメートのフリッツに決闘を申し込む。「今朝の僕に対する侮辱のお返しをしてやる。僕の血が半分日本人の血だから、ドイツ魂も半分しかないと言ったことを取り消せ」「お前が純粋のアーリア人じゃないってことは確かじゃないか」「また言ったな」フリッツに殴りかかるアドルフ。喧嘩をとめる教官。「アドルフ。お前の態度は男らしい。お前の体内に東洋人の血があるないは、当校では問題にしとらん」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>そしてアドルフは強制収容所見学に行く。その中にアドルフは見知った顔がいるのに気づく。「どこかで出会った。そうだ、神戸だ。パン屋のアドルフ・カミルのオヤジさんじゃないか」イザークもアドルフに気づく。「あんた。カウフマンの息子?カウフマン君。わしの身元を証明してくれ。わしが日本に住んでいることを証明してくれ」教官がアドルフに聞く。「この男は知人かね」「……。いえ。人違いです。ぼくの知っている人がこんなところにいるはずがありません」</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>バスの中で演説をぶつ教官。「ユダヤ人はドイツ国内に堕落と退廃を持ち込む。おまけにスパイ行為を平気でやって、ドイツを敵国に売るのだ。わかったかな。これがユダヤ人の正体だ。最も恐ろしいのはユダヤ人がコミュニストと手を組んで、世界に牙を向けることだ。そういう犯罪者や裏切り者をあそこへぶち込むのが、SSやゲシュタボの仕事なのだ。どうかね、国のためにそういう奉仕をやってみたくないかね」「ぼく、やりたいです」「ぼくも」アドルフは考え込む。(アドルフ・カミルのオヤジさん。どこで捕まったんだろう。神戸かな)</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>三ヵ月後、アドルフはフリッツらとともに、ヒットラー・ユンゲラー・パトロール隊に編入される。アドルフの最初の仕事はユダヤ人の家や住人にユダヤのマークをつけることか、ユダヤ人の店を徹底的に破壊することだった。アドルフは破壊活動のほうが好きだった。「出て来い。さっさと出て来い。ユダヤ人」家から4人の家族が出て来る。「名前を言え」「クライツ・ゲルトハイマー。妻のベラ、娘のエリザ、倅のゼフ」「ユダヤ人だろう」「そうだ」「よし。そのバッジにそれぞれに名前を書いて胸につけろ」しかし、アドルフはエリザの美しさに気を取られて上の空になる。</span><span lang="EN-US"/></p> <p class="MsoNormal"><span>「ねえ、君。それだけは勘弁してくれんか。私は今までナチス政府に協力してきたんだ。だからこそゲットーにも行かずにいられるんだ」「うるさいな。ユダヤ人のくせにつべこべ言うな。さあ、胸につけろ」「いっそ、今すぐ私たちをゲットーに送り込んだらどうなの」「あとのことはSSがやる。僕らはバッジを渡す役目だけだ」「あなたたちは子供だから何もわかっていないのね」「黙れ」</span><span lang="EN-US"/></p>

2012年4月20日金曜日


イエスのたとえ話

「私の隣人とは誰のことですか?」

ルカ10:25-37

 

201051&2

デニス・フォールズ牧師

 

はじめに

l         神の恵みによって、神の栄光のために、TBC@三郷で425日(日)に第1回目の礼拝が行われ、正式にスタートしました。約175名が出席し、1名がキリストを受け入れました!

l         TBC@三郷のために引き続きお祈りください。また、皆さんも1か月に1度はTBC@三郷の礼拝に出席されるようお祈りください。

l         TBCの予算・会計報告書を金曜日にTBCメンバーに郵送しました。会計年度は201061日から2011531日までです。

l         ジュディと私は、9月第1週から始まるスモールグループのために、ピリピ人への手紙の教材を執筆中です。

 

祈りましょう。

 

今日は、「イエスのたとえ話」シリーズの最終回です。来週からは「聖書の難しい教え」というタイトルの新しいメッセージシリーズが始まります。

 

今日のたとえ話の箇所では、「立ちあがり、イエスを試そうとした」と聖書に書かれた「ある律法の専門家」にイエスが語っています。この律法の専門家は、私たちが知っているような現代の弁護士ではなく、おそらく神学校の教授のような、宗教の専門家です。ルカ10:25によると、その専門家は「イエスを試そう」「イエスを罠にかけよう」としました。彼がイエスにした質問は、誰もが聞きそうな最も重要な質問でした。「先生、永遠のいのちを得るために、私は何をしなくてはいけないでしょうか?」

 

日本の社会でも、またTBCでも、このような質問を耳にすることは滅多にありません。よくある質問は、どのようにしたらもっと良い仕事につくことができますか? もっとお金を稼ぐにはどのようにしたらよいですか? どのようにすれば自分にもっと自信を持てますか? よりよい結婚生活を送るにはどうしたらよいですか? より家庭を円満にするにはどうしたらよいですか? どうしたら孤独な気持ちを取り除けますか? 鬱から脱出するにはどうしたらよいですか? 私の人生に対する神の御心を知るにはどうしたらよいですか?

しかし、「永遠のいのちを確実に受けるには、私は何をすべきでしょうか?」という質問を受けることは滅多にありません。「どのようにしたら私は地獄に行くことを免れ、天国に行けるのでしょうか?」と私に聞いてくる人は滅多にいません。

 

ここで少し時間を割いて大切なことをお話しましょう。これは『グッドニュースクラス』という日曜日のクラスでのメインテーマであり、ゴスペル・パティオで祈り福音を伝える人たちにとっても大切なことであり、スモールグループにとっても、両親や親しい友人にイエス・キリストを伝えたいと強く願う人すべての人にとって大切なことです。あなたが誰かに福音を伝えようとするなら、いつも問題となるのは「永遠のいのち」です。これが問題です。TBC@三郷を成長させようとするなら、本当に大切な質問は「永遠のいのち」に関することなのです。

 

イエスはあなたに、健康、富、成功、よりよい仕事、完璧な結婚、すばらしい家族、問題からの解放、友人について何1つ約束してはいません。数週間のうちに、玉川聖学院を訪問する東京ミッショントリップが行われます。その目的が福音伝道であるならば、永遠のいのちは大切な問題です。救いは次の人生に関することであり、この地上の人生に関することではないのです。ですから、もしあなたがだれかに福音を伝えようとするなら、この地上の人生に焦点をあてるのでなく、次の人生のことを考えさせるようにしなければなりません。TBCでは、福音伝道の焦点は、いつも「永遠のいのち」に関することであるべきです。私がこう言うのは、「よきサマリヤ人のたとえ」としてよく知られている(聖書の中ではこのように呼ばれてはいませんが)、このたとえ話の核心だからです。

 

ルカ10:25-37(新改訳)

25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

2012年4月18日水曜日


 ペンテコステの大切な意味は

神様の恵みが聖霊を通して私たちの間に今も生き生きと働いており、その力によって教会が建てられているということです。ペンテコステの色は赤、教会の色です。赤は聖霊の炎と、聖霊を受け世界に福音を宣べ伝えた弟子達を象徴する色です。

2012年4月17日火曜日


 6 禅定はどうやって作るの?

 禅定を全くしないまま観(ヴィパッサナー)瞑想だけで阿羅漢にまで悟った人は、最後の想受滅にだけは入ることができるでしょうか? これは無理なようです。先に阿羅漢までなっても、ただの禅定フリークの凡夫でも、瞑想する時は、必ず色界第一禅から始まって、徐々に段階を上がり、凡夫の最高は第八の非想非非想処まで、阿羅漢は想受滅までとなっています。

 順番抜かしはできません。エレベーターとかエスカレーターなどと同じで、どんなに速く、瞬間的に最上階まで達したように見えても、実は一階から順番に上がっているのです。

 しかも禅定の段階を上るのは、実はエスカレーターではなく階段のようです。悟りなら第一の預流果に達しさえすれば、後はいつか必ず阿羅漢に達するのですが、禅定は、色界第一禅で止まる人もあり、無色界最初の空無辺処で止まる人もあり、本人の興味や努力や特質によって様々のようです。しかも禅定は悟りと関係なく、悟りに達する助けにしかなりませんので、釈尊も、禅定はできてもできなくても悟れば何も問題ないと思っておられたようです。

 色界第一禅からは本人次第で少しずつ段階を上がっていけばいいのですが、そもそも禅定に全く達したことのない人が、どうやって色界第一禅に入ればいいのでしょうか? これは結構手探りの、大変な問題でしょう。

 禅定に入るための心身の準備は、悟りに至る観瞑想をするための準備と共通する点も多いですので、釈尊は丁寧に説き残しておられます。

 禅定に入る準備についての最も簡単な説明は、「欲と不善を離れる」ことです。私たちが今関わっている欲界への執着を離れないと、色界以上の禅定の世界には心が向きません。欲に基づくものも怒りに基づくものも無知に基づくものも、不善は当然心の成長の妨げになります。「欲と不善を離れて色界第一禅に入る」のが、最も簡単な入定の説明です。おそらくこれは、仏教以外の人々がただ禅定に入ろうとする時にも最低限クリアしておかないといけない項目でしょう。でもこれだけでは、まだちょっと分かり難いです。

 仏教でない禅定の場合は、後はもうただ、何か一つの対象に集中して一心不乱になって集中が定まった時、禅定に入れた、というくらいの説明しかないと思います。しかも仏教でない場合は、禅定から日常生活に戻ればどうせまた欲界への執着も不善も起こってきますから、根本的な解決には何もなりません。

 禅定に入るための心構えとかやり方がもう少し詳しく示されていて、しかも一旦禅定に入るのに成功すれば、ついでに悟りの一部も発見できて、心が成長し、もう二度と欲や不善に戻らなくて済む。釈尊は、そんな仏教的に正しい、悟りに導く禅定の作り方というものも説明しておられます。釈尊ご自身が禅定に入ってから悟りを開かれた時の体験を語ったもの、そして比丘たる者はこのように修行して悟るべきだと指導するものが、お経には幾つも見られます。どのお経にもほぼ同じ内容の項目が説かれていますので、最も詳しい説明がどんなものか、よく分かります。しかもその内容を一つ一つ実践していくなら、万一禅定に入れなくても悟りだけは開けるという、仏教的には圧倒的に正しい心になるようにプログラムされていま� ��。「仏教的に正しい禅定の作り方」は、実は禅定そのものの体験を目的とするものではなく、禅定を使ってなるべく楽に悟りましょうという悟りへのプログラムの一環なのです。

 仏教的に正しい禅定の入り方は、悟りを開くために必要な力でもある信・精進・念・定・慧の五根(五力)に沿って、以下のように説かれています。

 6ー1 発心する(信)

 仏教的に正しい禅定の入り方は、まず聞法と信から始まります。

2012年4月15日日曜日


Temple Adath Israel (Owensboro, Kentucky)の意味 - 英和辞典 Weblio辞書<link rel="stylesheet" type="text/css" href="http://www.westatic.

2012年4月14日土曜日


Io}哝̏AC

Barack Obama Inaugural Address
Tuesday, January 20, 2009 Washington, D.C.iPXOj

My fellow citizens:

̒Ԃł鍑݂̂Ȃ

I stand here today/ humbled/ by the task before us/, grateful/ for the trust you've bestowed/, mindful/ of the sacrifices /borne(bear) by our ancestors/. I thank President Bush/ for his service to our nation/, as well as the generosity and cooperation/ he has shown/ throughout this transition.

͍ɗĂ^ɂȂā^B̖ڂ̑Oɂۑɑ΂^Aӂ^Ȃ^ꂽMɁ^AYȂ^̋]^B̐cςE񂾁^B̓ubV哝̂Ɋӂ܂^ނ̕d͎B̍̂߂^AȍsׂƋłȂ^ނ͎Ă܂^̐ڍs̊ƁB

Forty-four Americans have now taken/ the presidential oath/. The words have been spoken/ during rising tides of prosperity/ and the still waters of peace/. Yet, every so often/ the oath is taken amidst/ gathering clouds and raging storms/. At these moments/, America has carried on/ not simply because of the skill or vision of those in high office/, but because We the People have remained faithful/ to the ideals of our forbearers/, and true to our founding documents.

44̃AJlsė^哝̂̐鐾^B̌t͌Ă܂^ɉĥƂɁ^ĕaÂȗ̂ƂɁ^BȂ玞X^鐾sꂽ^N_⌃́^BɁ^AAJOi𑱂ꂽ̂́^P{̔\͂rWDĂł͂Ȃ^ABł葱ł^B̐l̗zɁ^AĎB̌̕ɒŁB

So it has been/; So it must be/ with this generation of Americans.

܂łƂłB^Ă葱Ȃ΂Ȃ܂^̐̃AJB

That we are in the midst of crisis/ is now well understood/. Our nation is at war/, against a far-reaching network/ of violence and hatred/. Our economy is badly weakened/, a consequence of greed and irresponsibility/ on the part of some/, but also our collective failure /to make hard choices/ and prepare the nation for a new age/. Homes have been lost; jobs shed/; businesses shuttered/. Our health care is too costly; our schools fail too many/; and each day brings further(far) evidence/ that the ways we use energy strengthen/ our adversaries/ and threaten our planet.

B@̐^Œɂ邱Ƃ́^ł͂悭Ă^BB̍푈Ԃɂ^AL͈͂ɋylbg[NɓG΂ā^\͂Ƒ݂́^B@B̌oς͂Ђǂ̉Ă^A~ƖӔČʂƂ^ꕔ̐lX́^ABsł^I^čVɌď邱Ƃ^BƂ͎AE͂ȂȂ^AƂ̓Vb^[낵^BB̈Ô͍߂܂AB̊wZ͂܂ɑ]Ă܂^AĖɂɂȂĂ܂^BGlM[̎gĂƂƁ^B̓G^ĎB̒nĂB

These are the indicators of crisis/, subject to data and statistics/. Less measurable but no less profound / is a sapping(sap) of confidence/ across our land/; a nagging fear/ that America's decline is inevitable/, and the next generation must lower its sights.

͊@̎wWł^Af[^ƓvɊÂ^B\łȂx[Ȃ̂́^M̑rł^B̍y̎ƂŁ[^‚܂ƂėȂs^AJ̐ނ͔ȂƂƁ^AĎ̍ڕWȂĂȂȂƂB

Today I say to you/ that the challenges we face are real/. They are serious and they are many/. They will not be met easily or in a short span of time/. But know this/, America \ they will be met(meet).

݂͂Ȃɐ\グ܂^͎̓B{ɒʂĂƂƂ^͐[łĂ񂠂܂^B͗eՂɑΏł܂񂻂ɒZԂł́^B͒mĂĉ^AAJ[܂Ώ܂B

On this day/, we gather because/ we have chosen hope over fear/, unity of purpose/ over conflict and discord.

̓Ɂ^ABW܂̂́^B͋|]I񂾂ł^AړÎ߂ɒc邱Ƃ^saB

On this day/, we come/ to proclaim an end/ to the petty grievances and false promises/, the recriminations and worn out dogmas/, that for far too long have strangled our politics.

̓Ɂ^AB͗Ă܂^I錾邽߂^ׂȕsU̖񑩁^AԂƂȂǂ^A܂ɒԎB̐}ƁB

We remain a young nation/, but in the words of Scripture/, the time has come/ to set aside childish things/. The time has come/ to reaffirm our enduring spirit/, to choose our better history/, to carry forward/ that precious gift, that noble idea/, passed on from generation to generation/: the God-given promise/ that all are equal, all are free/, and all deserve a chance/ to pursue their full measure of happiness.

BˑRƂł^Ǎtɂ悤Ɂ^A܂^q݂Ƃ߂^B܂^BiI_ĊmF^AB̂ǂjIԂ߂Ɂ^AiW^̋Mdȑ蕨Ȃsȍl^Aォ琢ւ󂯌pė^A_^ꂽ񑩂^NŁANRŁ^AĂׂĂ̐lɃ`XƂƁ^őKNjB

2012年4月13日金曜日


スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)字幕動画


スタンフォード大学2005年卒業式で行われた伝説のスピーチ☆



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スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳) これは良いスピーチだ。 このことを忘れないようにしたいね。...

ジョブズに涙する【kikimimi/bg】at 2006年01月10日 01:08

寄り道してもいいんだ・・・ ひとを励ますって難しいものだけどアップルコンピュータ創立CEOの スティブ・ジョブス氏のスタンフォ−ド大学卒業祝賀スピーチの言葉を古川さんが紹介されていたのは英語で、読めずにがっかりしてコメントを開いたら何と息子が和訳サイト...

引き出しを一杯もつ大切さ・・・【Patra Ichida @ Blog】at 2006年10月14日 13:23

大分前ネットで話題になったらしいアップルの創立者SteveJobsのスピーチを見つけて聞いています。テキストは読めるし、YouTubeのビデオも見られるし、iPodやトークマスターにも入れられるし。。。で喜んでいたのですが、探すとさらに翻訳まで見つかって得した気分です。ht...

ジョブズのスピーチの翻訳を見つけました。 Appleのキーノートではなく、若者に...

これを読んでくれている方でmacユーザーの方はいらっしゃいますか?私はコンピュータを使い始めてからもうすぐ12年になるのですが、ずっとWindowsです。macの使いやすさ、美しさはう...

Stay Hungry. Stay Foolish.【HAAYA】at 2007年11月05日 01:04

アップルCEOスティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学での、かの有名なスピーチ。 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結...

スティーブ・ジョブズのスピーチ。【戦略コンサル辞めて起業している日記】at 2007年11月28日 12:27

スタンフォード大学2005年の卒業式で、アップル社創業者のスティーブ・ジョブス氏がスピーチを行ないました。 原文 'You've got to find what you love,' Jobs says STANFORD NEWS SERVICE ...

Stay hungry, stay foolish.【Blue Round】at 2007年12月07日 00:20

ふとしたキッカケで、文章では読んでいたジョブズ氏のスピーチを 映像で見た。字幕入りで(^^)スタンフォード大学の卒業式での スピーチです。節目で見ると改めてやる気になりますよ。 映像より、文章がよい人は以下でどうぞ。 スティーブ・ジョブズの感動...

先日弊社役員の能川と藤原と食事をした時のこと。 ? ふたりとも、ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチを ? これまでに数百回と聞いているそう。 ? ? ? モチベーションが落ちそうになった時など、 ? 自分のアイポッドに入れて聞いたり ? (iTunesより無料で...

ジョブズのスピーチを数百回聞く役員【港区ではたらく女社長のblog】at 2008年02月17日 17:53

池田信夫先生のサイトに、『スティーブ・ジョブズの「まぐれ当たり」』という記事。1990年からのMac信者(自宅にMacが4台ある)としては、許せないと思った。でも、ジョブズのあのスピーチに想いを馳せたとき、池田先生の言うことが納得できる。 まぐれであることは、ジョブ

この間、帰宅途中にタクシーの事故に遭遇しました。 上の写真がタクシーが突っ込んだ...

紙一重の日常【されど空の青さを知る】at 2008年03月12日 23:21

仕事中、あぁ〜やる気が出ないのはなぜ〜〜とブツブツつぶやいていたら、 後ろに座っているTさんが、やる気のでるスピーチ聞く?[emoji:e-440]と教えてくれました。 とってもポジティブになれる良いスピーチだったので、ここにもあげておきます。 ちょっとリンクの仕方が...

この夏にネパールに行きそうだ。そこで、ネパール関係のニュースにも注目している。三浦隊がネパールに登ったりとか、日本のPKOが頑張っているとか、日本がらみのニュースもありますね。 ネパールと聞くと何となく「美しい山々」など神秘的なイメージを持ってしまいますが、

ネパールのマイクロ・インシュランスでの「研究」と「開発」【ヨーロッパから環境事情 (オックスフォードの環境博士の日記)】at 2008年04月15日 18:24

成功=幸福になるためには、どうするか?が書かれた本です。 何をすべきかが具体的に書かれており、事例も豊富です。 この本には、分かりギ..

「ウェブ進化論」の梅田氏の最新作『ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!』を読みました。 とっても参考になる言葉が並んでいて参考にはなったが、「定理」ってのには無理がある。シリコンバレー金言集や名言集ってタイトルだとしっくり来るのだけど、それじ...

梅田望夫氏の最新作『ウェブ時代 5つの定理』【ビジネスアスリートへの道】at 2008年05月20日 01:23

久しぶりにトラックバックしたので緊張しています。(システム上のことで) スティーブ・ジョブズのスピーチが素晴らしくて 私一人の胸に納めるにはもったいなかったので、 私も振り返りたいし ここで披露。 「Stay hungry, stay foolish.」 いつまでもそうあり...

Stay hungry, stay foolish.【本と私と月のあとさき】at 2008年08月12日 15:15

偶然字幕入りを見つけたので。テキストはスティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)にて。 今あらためて聞いて、今日なんとなく思ってた??.

前エントリーの続き。先日、いつもお世話になっているマイルストーンの水野さんが日刊...

あきらめない事と同様に大切なことこの間年配の方から聞いた話です。その話をする前にスティーブジョブズのスピーチを見てみましょう。スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)

2012年4月11日水曜日


<Hosanna / Kirk Franklin>

今回はカーク・フランクリンさんの
Hosannaという曲をみてみたいと思います。

Youtube

「天使達があなたの思いやりに頭を垂れ
暗闇はあなたのために光をうけいれる
あなたの支払ってくださった代償が
私たちに新しい命を与えてくださるのです

ホサナ
永遠にあなたを賛美します

あなたこそ私の魂が求めるよろこびだから
あなたこそ私の罪の為にささげられた子羊だから 
私のすべてをささげるかた
王の中の王 
すべての主権者

ホサナ
永遠にあなたを賛美します

あなたには忍耐、寛容、恩恵、慈愛、名誉、栄光、があるから
あなたは尊い方であるから
あなたなしでは生きていけない!
あなたなしでは息も出来ない!!
あなたなしでは歌うことも出来ない!!!
ホサナ!
ホサナ!

この世にあなたほど大きな愛はなく
誰一人あなたと比べられる者もいない
だからあなたの行くところはどこへでもついていきます
ホサナ
永遠にあなたを賛美します

2012年4月10日火曜日


2012年4月8日日曜日


三位一体とは、キリスト教の奥義の一つで、神には、父・子・聖霊という異なった三つの位格(persona)があるが、神は実体(substantia)としては同一であるという考えである。この程度のことなら、高校生でも、世界史の授業で習うので、知識としては知っている。でも、異なるけれども同じとはどういうことなのか。弁証法的に考えてみよう。

1. 三位一体の教義の成立

聖書によれば、イエス・キリストは、神が受肉した、つまり人の姿をして現れた、神の子である。では、イエスは、人間ではなくて神なのか。さらに、イエスが昇天した10日後のペンテコステ(収穫感謝祭)に、弟子たちに聖霊が降臨したことになっているが、この聖霊も神なのか。父なるヤハウェ、子なるイエス、聖霊を同格の神と認めることは、多神教的であり、一神教の大前提に矛盾するのではないのか。こうした疑問から、三位一体論争が起きた。


trinitas(三位一体)は、チュニジア カルタゴのテルトゥリアヌスが最初に用いた用語です。Trinity(三位一体)とは、Creator

創り主

(父) = Savior

救い主

(子 イエス) =

Counselor

助け主(

聖霊

)が一体であるということです。Trinity(三位一体)がはっきりと文章として記され、公会議で認められたのは、

ニケア信条

だといわれていますが、John 14:23-26 でも、既に Creator 創り主(God the Father) = Savior

救い主

(Jesus the Son) =

Counselor

助け主(

聖霊

)のことが述べられています。聖書の、その他の聖句でも沢山、Trinity(三位一体)のことが書かれています。ニケア公会議で合意された Trinity(三位一体)を Standards of Faith(

信仰基準

)に取り入れていないモルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)、世界統一教会、エホバの証人(ものみの塔)は

異端

として扱われています。

Pentecostal

(ペンテコステ主義者)のなかには

2012年4月7日土曜日


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2012年4月6日金曜日


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2012年4月4日水曜日



昨日のジム(体操)のクラスはオープンハウス。はじめて体操クラスでのエリックを見たが、ぴょんぴょん跳ねて、バンバン走って、いちばん小さいのにすごい勢いだった。あんなにエネルギーが有り余っているんだなあ、と驚き、エリックのあとを追いつけなくなっている自分との年齢差を感じた・・・。

相変わらず英語が主要言語になっているのだが、1ヶ月ごとに見ると少しずつ変化があって、最近は少し日本語を意識的に使おうと思っている様子。私の言ったことでわからない日本語はすぐに「・・・って何?」と訊ねるし、自分でも簡単な日本語の構文を組み立ててみようとする。同時に日本への関心を少し示すようになっている。

・主要言語は引き続き英語

・私とエリックの会話は私(日本語)、エリック(英語+� ��しの日本語)私と話すときは英語90%、日本語10%くらい

・私の使う日本語で分からないことばに対しては「・・・って何?」と訊ねることが増えた

2012年4月2日月曜日


 「だいじょうぶマイフレンド」の「だいじょうぶ」と「マイフレンド」の間に「?」を入れてみる。「だいじょうぶ?マイフレンド」ほーら全然意味が違っちゃうでしょう?かつ、こっちのほうがバッチシでしょう?日本語と言うのは偉大でしょう?ってそういう話じゃないですけど

 そらまあ、本書いた人と映画作った人が同じですから「原作に忠実か否か」という議論はさておき、むしろ活字にしてしまったことで欠落したイマジネーションを映画でフォロー使用した結果がコレ、ってことなんじゃないですかね。ただし、映画のプロフェッショナルじゃないんですよ村上龍は。餅は餅屋なわけですから、そのへんは割り引いて見てあげましょうね。(なんか優しいかも?今日の私)

2012年3月31日土曜日


イスラエルの宗教モザイク

日本人の常識では、とても理解できないのがイスラエルの宗教。 ユダヤ人は「3人集まると4つの意見が出る」と言われるほどに多様なので、簡単には説明できません。 しかし、宗教はイスラエル社会を理解する上では重要な要素なので「厳密さは多少犠牲にして」とお断りをした上で、様々なグループの宗教的傾向を簡単にまとめてみたいと思います。


宗教の基本的構成を理解する

この円グラフは、イスラエル政府統計局発表によるイスラエルの人口と宗教分布です。全人口の4分の3を占めるユダヤ人は全員がユダヤ教で 、残りのアラブ人などはイスラム教、ドルーズ教、キリスト教徒などに分かれます。
まず、ユダヤ教徒が4つに分かれていることから、説明を始めなければなりません。 超正統派は独特の黒くて長い服を着た人々、宗教派は普通の服装ですが律法を守りユダヤ教を信じる人々、 伝統派は宗教ではなく民族の伝統として律法を守る人々、世俗派は宗教にも律法にも興味の無い人々です。 ここで「律法」というのは、「ハラハー」と呼ばれる宗教律法のこと。 たとえば、豚肉を食べないなど、ユダヤ教の食事規定を守り、安息日には車に乗ったりテレビを見たりしない等の事柄です。
超正統派、宗教派、伝統派、世俗派という4区分は必ずしも明確なものではありません。 伝統派を世俗派に含める場合もあり、また宗教派を「正統派」と言う人もいます。一般には、超正統派、正統派、世俗派という3区分で考える場合が多いでしょう。


宗教は信じないが神は信じる?

いずれにしても、ユダヤ人の大多数は「宗教を信じない」のです。 ところが、別の意識調査によると、神を信じる人はユダヤ人の71%もいます。 イスラエルの人々が世俗的な人でも神の存在を意識していることは、実際に話をしてみるとわかります。
しかし、神がいると感じていても、ユダヤ教という「宗教」を信じない人々が多いのです。
さらに不思議なのは「ユダヤ人は全員がユダヤ教徒」という驚くべき統計数字です。 何と、宗教を信じない世俗的な人々も、立派に「ユダヤ教徒」に分類されているのです。

2012年3月29日木曜日


『樹木たちはこう語る』 ドロシー・マクレーン著 日本教文社

 本の紹介です。スピリチュアル関係の本で一冊だけ選べと言われたら、私は迷わずこれを選びます。愛に満ちたメッセージが詰まっています。ひとりでも多くの人に読んでいただきたい。そして感じていただきたい、一冊。

         【フィンドホーンについて】

2012年3月27日火曜日


Translated by Masazumi Fujiwara from the English.

I. 新しいシリーズ:何が成長させるのか?祈りだ!

私達は先週から新しいシリーズ「何が成長させるのか?」をはじめました。先週、私達はクリスチャンの成熟のために、聖書を知り、それに従うことは決して譲る事のできない本質的なものであることを見ました。

皆さんが、聖書を学ぶということにさらに献身するために、皆さんにチェックリストをお渡しましたが、それに目を通されたでしょうか?皆さんがそこにある項目にチェックを入れて、さらに御言葉を吸収していこうと決心されたのなら、これほど嬉しい事はありません。

A.目標:霊的な成長のために不可欠な習慣を身につけること

テーマ聖句:Ⅱペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

あなたは神様があなたに成長してほしいと願っている事を分かっていますか?神様はもうあなたがイエス・キリストを救い主として信じるだけでは満足しておられません。今、神様はあなたが神様を主として従い、着いて行くことを願っておられるのです。神様こそあなたが従うべきお方です。

B.霊的に成熟するためにはどのくらいの時間がかかるのか?

私達が「成熟した」と言われるようになるまでにどれくらいの期間がかかるのかについて、聖書は何か言っているでしょうか?そう、言われているのです。パウロはコリント宣教をした後、4~5年後にコリント人への手紙Ⅰを書きました。彼はおそらく紀元51年にコリントに着き、53年までそこに滞在したようです。したがって、彼がコリント人への手紙Ⅰを書いたのは、56~57年の頃でしょう。彼はコリントの人々が成熟の域に達するまで4~5年あれば十分であると考えていたようです。

彼はⅠコリント3章でこのように述べています:

1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。 2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。 3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

もしあなたがクリスチャンとなってからまだ5年も経っていないのなら、まだまだあきらめる事はない。一瞬にして成熟する事を求めてはいけない。そんなこと初めから無理なのですから。しかし、いつも成長しようと努めなさい。

「5年!」という言葉を聞いて不快に思った方はおられませんか?恐らく、その人はクリスチャンとなってから5年以上経っておられるのでしょう。自分が本当はもういなければならない所から遠く離れていることを知っていても、「まあ、とにかく進んでいる方向は間違っていないわけだし、いつかきっと成熟に達するさ。だいたい誰がその「時」を知っているんだ。」と言って、自分の良心を抑えようとしていませんか?成熟とは漠然として、はるか向こうにあって、死ぬまでに達成することなどできないようなゴールでは決してありません。パウロに従えば、成熟は比較的短い期間で達成できる具体的なゴールであるのです。さあ、皆さんどうしますか?

C.全体像:成熟したクリスチャンの7つの習慣

それでは、霊的な成熟に達するためにすべてのクリスチャンに求められる7つの基本的な習慣を見てみましょう。私達は…:

2012年3月24日土曜日



月日は現在より少し先へ流れ・・・・・

クリスマス

誰もが心を躍らせ、楽しみにしている日

日本中、否、世界中の街はクリスマスムード一色となり、人々の心を喜ばせている

街ではメリークリスマスと書かれたネオンに、キラキラと輝くイルミネーション

そして、緑の樹に様々な装飾をつけ、樹の頂上に飾られている星が象徴的な、クリスマスツリー

これを見て、クリスマスを心待ちにしない者などいないだろう

そして、12月24日

クリスマスを楽しんでいるのは、ここデュエルアカデミアも例外ではない

校舎の入り口には大きなクリスマスツリーが飾られ、その横を数名の生徒が走り去っていく

「早く行こうぜ!パーティーが始まっちまう!!」

「早く行きましょう!!」

「ま、待ってよ� �~!」

彼らが、学園の掲示板の前を走り去っていく

その掲示板に、何枚か貼られた用紙の中でも大きめの用紙には、こう書かれていた

『12月24日!毎年恒例、デュエルアカデミア・クリスマスパーティ開催!!』

体育館では既に多くの生徒が集まっており、まもなく始まるパーティを、今か今かと心待ちにしている

その中には無論、彼等もいた

「もうそろそろか」
微笑を浮かべ、時刻を確認しながら呟く黒崎一真

「ああ!!楽しみだな~!!美味そうな料理も沢山あるし、クリスマスデュエル大会も早くやりて~!!」

「そうっスねアニキ~。ああ僕も早く料理が食べたい~」

「お、俺もだ。クリスマスの豪華な料理、すごく楽しみなんだなぁ」

次々と運ばれているクリスマスに相応しい料理を目で追いかけながら、垂れそうになる涎をこらえつつも、後に行われるデュエル大会を楽しみにしている遊城十代に、料理だけに夢中になっている丸藤翔に前田隼人

「悪いが今回は勝たせてもらうぞ十代。以前のようには行かないからな」

「どうかな!今度も俺が勝ってやるぜ!ってか三沢、いつからいたんだ?」

「クッ・・・ずっといたよ。というかさっきも言わなかったか?!� �

「あ、そうか?悪い悪い」

実力はかなりの実力だが何故か影の薄い三沢大地

「フフフ・・・皆、楽しそう。私も簡単に負けるわけには行かないわね」

「俺もこういった行事は嫌いじゃない。優勝も良いが、楽しめるデュエルができそうだ」

わいわいと騒いでいる面々を見ながら微笑む天上院明日香と、デュエル大会へ静かな闘志を燃やすカイザー事丸藤亮

「フン!クリスマスだからといって浮かれおって!このクリスマス・デュエル大会、優勝はこの万丈目サンダーだッ!!」
この学園の制服ではない漆黒の制服を纏い、デュエル大会の優勝を狙う万丈目準

十代は、体育館の隅でせっせと準備をしている茶色の服を着た人物を見つける

2012年3月22日木曜日


理解/

1.聖書

2.真理

3.主

4.主から発した信仰

5.光の子

6.ヴァッスーラ

7.ルイザ・ピッカレータ

8.マリア・ワルトルタ

 

 

 

1.聖書より

 

ヨハネ3・16−21

 

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P58

 

 しかし彼らは私を憎んでいます。私はこの世にとって一つの"危険"だからです。世間の偽り、欲望、暴力に対する危険そのものだからです。私は光で世間を照らすが、世間は光を愛しません。光は世間の俗悪さを、はっきり見せつけるから、世間は私を愛さない・・・私を愛することはできません。私が人間の心に打ち勝つために、つまり、人間を迷わせる闇の王に打ち勝つために来たと知っているからです。世間は私が医者であり、薬であることを認めようとせず、治療を拒んで狂ったように私を殺したいのです。

世間は私が主であるということに納得しない。私の言うことが世間の常識に背いているからです。そのために世間は、罪悪である自分の本性をあばこうとする私の声を、神の声を、押しつぶそうとしています。私と世間との間には、淵があります。それは私の責任ではありません。私はこの世に光と道を、真理と命を与えるために来たのに、世間は私を迎えようとしない。私の光は、その世間にとって闇に変わる。それは私を望まない人々の罰になるからです。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P174

 

「知っています。ともかく灯りをつけなさい。闇の中で話すのは、正しい人のすることではない。泥棒、うそつき、好色家、人殺しのすることです。悪の共犯者は闇が好きなのです。だが私は共犯者ではない・・・」

 

 

天界の秘義6655

 

「さあ、わたしたちはそれを慎重に取り扱おう」(出エジプト記1・10)

2012年3月15日木曜日

 

こちらでは、マザーテレサによって残された言葉をとおして、その愛と祈りの生涯を見て行くこととします。


1

この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。

 マザー・テレサ語る より

マザーテレサは、貧しい人々、病んだ人々を生涯にわたって愛し、助け続けました。

彼女のつくった「神の愛の宣教者会」は、「孤児の家」「ハンセン病患者の家」「死を待つ人の家」「結核患者、精神病者の家」等を運営し、常に貧しい人々の中のいちばん貧しい人々、病んだ人々、社会の人々から必要とされていないと感じるような立場におかれた人々を、今現在も愛し、助け続けています。


2

マザーは信仰の人でした。カトリックの修道女として生きた人でした。

すべての人は良心をもっていて

みんなそれに

従わなくてはならないのです

その愛は、宗教や宗派にかかわらず、世界中のすべての人に対して、注がれていたのです。マザーに対して当初偏見を持って見ていた他宗教、他宗派の人々も、マザーのすべての人々に対する献身する姿に心を打たれる事になりました。やがてあらゆる宗教、宗派の人々がマザーを理解して行きました。

もしあなたが謙虚であるなら

何ごともあなたの心を汚さないでしょう

もしあなたが聖人であるなら

神に感謝しなさい

もしあなたが罪人であるなら

そのままでいてはいけません

 

マザーは、信仰による真実に生きることを自ら実践し、人々にもその生活の場での、真実の実践を勧めました。

もし、経験がないならば、尋ねなさい

尋ねることは恥ずかしいことではありません

けれど、知らないことを、

知っているようなふりをするのはやめなさい

マザー・テレサ 日々のことば より


3

マザーの活動はインドのカルカッタで始まりましたが、やがて世界の多くの国々へと広がることになったのです。

考える時間を持ちなさい

祈る時間を持ちなさい

笑う時間を持ちなさい

 

それは力の源

それは地球でもっとも偉大な力

それは魂の音楽

 

遊ぶ時間を持ちなさい

愛し、愛される時間を持ちなさい

与える時間を持ちなさい

 

それは永遠につづく若さの秘密

それは神が与えてくれた特権

自分勝手になるには、一日は短すぎる

 

読書する時間を持ちなさい

親しくなるための時間を持ちなさい

働く時間を持ちなさい

 

それは知識のわき出る泉

それは幸福へつづく道

それは成功の価値

 

施しをする時間を持ちなさい

それは天国へと導く鍵

 

[カルカッタの「孤児の家」の壁にある看板より]

子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。

すべての子どもたちが、この世に望まれて生まれてくる、とマザーは言っています。それは一人の例外もなくすべての子どもたちを意味していました。

マザーは、子どもたちは祈ることを学ぶ必要があると語りました。


4

私たちは、祈ることで誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。

なぜなら、少しでも神に近づいた人間は、まわりにいる人たちに楽しさと愛を広めるからです。

この言葉は、なによりもマザー自身の体験をとおしての、祈りの果実を示しています。

それはとてもシンプルなものなのです。

私たちすべてが必要としているのは、祈ること、そして、他の人をもっと愛し始めることなのです。

マザーは、祈る事と人を愛する事が、すべての人に必要なものと言っています。

そして、祈るときに必要なものとして、沈黙をあげています。

だれにでも、沈黙し、黙想する時間が必要です。私はいつも沈黙のなかで祈りをはじめます。

神は静寂の友です−私たちは神の声に耳をかたむける必要があります。

祈りは魂を満たしてくれます。そして、人間は、祈ることで神に近づくことができるのです。

祈ることで、あなたは清らかで純粋な心を与えられるのです。

マザー・テレサ語る より


5

マザーは、心の静けさ(真の内面的な静寂)を得るために、次のようなことを上げています。

他人の過ちや、罪深いすべてのものに目を閉じ、神の美徳をさがす(目の沈黙)

ゴシップや告げ口、無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける(耳の沈黙)

暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする(舌の沈黙)

うそや混乱、破壊的な考え、軽率な評価、他人への誤った疑い、復讐心、さまざまな欲望などに精神を閉ざし、祈りと黙想において神の真理と知識に精神を開く(精神の沈黙)

すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する(心の沈黙)

マザー・テレサ 愛のこころ最後の祈りより

マザーは、心の静けさを保つことによって、神の声を聞く特権が与えられると言っています。


6

マザー(この呼び名は、修道女〈シスター〉の母、女性指導者の意ですが、彼女の場合には、その固有名詞として呼ばれています)は、世の人々に対して、彼女と同じことをしてほしいとは言いませんでした。ただ、それぞれの生活する所で、彼女と同じように祈る人、他の人を愛する人になってほしいと願っていたのです。

彼女は、祈ることはだれでも、いつでも、どこにいても出来ると言っています。

祈ることをたびたび勧めています。それを説く相手は、宗教、宗派を超えていました。マザー自身は、彼女の信仰する父(神)とイエス・キリストさらに聖母マリアに祈ることを実践した人でした。

すべての宗教は、永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。

この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは、死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです。

マザー・テレサ 日々のことば より

マザーは永遠なる命について語っています。死は終わりではない、正しい信仰を知って生きる人は死を恐れることはないと言っています。すべての人はやがてこの世の死を迎える事により、神(宗教、宗派を超えた父(創造主))の家(霊魂の世界)へ帰ると語っています。彼女の信仰は、祈ることによって成し遂げられました。

私の秘密をおしえましょうか。私は祈ります。キリストに祈るということは、キリストを愛することと同じなのです。

救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら、私の答えは「神様を愛することです。そして、何よりもまず祈ること」

キリストを知らない人が、真にキリストを知るようになることをマザーは願っていましたが、それに関連して、彼女はこの世のすべてのキリスト信者にとって大切な言葉を残しています。

キリスト信者と世間に認められていても実際には実行していない人は、キリストを知らない人がキリストに近づこうとする事をさまたげてしまうと言っています。

生涯を通して実践していたマザーの大切な言葉です。

ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。

キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より


7

マザーは真の信仰(祈り)であれば、その人の祈りは、きっと受け入れられると話しました。

信仰が深まれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないとわかります。

 マザー・テレサより

マザーの信仰は、あらゆる宗教、宗派はもちろんあらゆる人種、社会的身分の人々を含むものでした。

すべての人々が必要としているのは、他の人々をもっと愛し始めることと言っています。

神様だけが、私たちの真の必要をご存知です。

愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より

どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。そして人の心に平和をもたらします。

何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるか、、、 それが重要なのです。