日本におけるイスラム教 〜葬儀などタブーの考え方〜
以前のものは、以下です。
■日本におけるイスラム教 〜一夫多妻制〜
■日本におけるイスラム教 〜女性に差別的なのか?〜
■日本におけるイスラム教 〜お祈り、礼拝とスカーフ〜
イスラム教徒が日本で暮らす上でかなり厄介なのが、葬儀の問題のようです。
日本式の葬式で手を合わせてもよい?(要登録 日経ビジネスオンライン)では、日本人女性ムスリムが同じイスラム教徒を内部から批判しています。
"そもそも、葬儀に参列することを嫌がるムスリムたちは、なぜ嫌がるのだろうか?
この日本人女性ムスリムの見方は手厳しい。
「頭の堅いイスラム教徒って多いですから。堅いっていうか自分たちの宗教こそがすべてだと思っている。だから日本の宗教は恐らく邪教なんですよね。そこで行われる儀式に参加することは邪教の儀式に参加することになる」
イスラム教がアラビア半島から世界中に広まる中で土着の文化や慣習と混ざり合うこともあった。そのため、イスラム教の知識を生活の中で親から授かった外国人ムスリムの中には、イスラム教の教えと自国の文化・慣習を混同している人がいる。 外国人� ��スリムと結婚するために入信した日本人ムスリムは、イスラム教の知識がほとんどない場合が少なくない。外国ムスリムである配偶者に「これがイスラム教での正しいやり方だ」と言われると反論することは難しい。
このため、この女性は、だからこそ日本人ムスリムがイスラム教をきちんと勉強するべきだと考える。
あなたは、キリスト·イエスの説教アウトラインに誰である
「外国人の人たちは別にいいんですよ。日本でも、自分たちの暮らしをずーっと続けていかれる。けれども、国際結婚をした日本人の私たちは、日本文化とイスラムの務めの狭間にいるわけじゃないですか。日本の文化も守らなきゃいけない。自分には親戚も親もいる。でも、ご主人の国の慣習も守らなければいけない。やっぱり皆さん苦労してらっしゃる。だから、まずイスラムをきちんと勉強して、主人に反論できるような知識を持っていないといけない」 "
これは前回の日本におけるイスラム教 〜お祈り、礼拝とスカーフ〜の最後に書いたイスラム教徒側の排他的な面の指摘です。
もしかすると、一神教らしさでもあるのかもしれません。
多分同じ一神教のキリスト教徒だったはずですが、日本的であるいろいろなものに神が宿っているからものを大切にしましょうという感覚すら、「これだから多神教は……」みたいに嫌な顔をすると以前読んだ気がします。(どの記事かは思い出せませんでした)
もう一つ、日本に来てイスラム教を学び直す 日本社会に生きるムスリム7(要登録 佐藤 兼永 2011年11月8日 日経ビジネスオンライン)からも、葬儀とイスラム教徒の排他性、タブーについての話を紹介します。
後悔の日々は、彼らです。
埼玉県川口市で中古車の輸出業を営むラザ・ナディムさんはパキスタン人のムスリムだ。ラザさんには結婚して15年になる日本人の奥さんがいる。彼に「外国人ムスリム特有の問題はあるか?」と尋ねると、「無い」という答えが返ってきた。 しかし冠婚葬祭の問題はどうなのだろうか? 日本人ムスリムに話を聞くと、親や身近な人の葬儀などへの参加は、外国人ムスリムである夫の理解を得にくいという話をしばしば耳にする。そうであるならば、外国人ムスリムは当然、日本式の葬儀に参列することに抵抗感があるだろう。 ラザさんはこの問にも、自分がイスラム法を理解する限り、出席すること自体は問題ないとあっさりと答えた。「(他宗教の行事や集まりに出席しても)自分の心が変わらなければ問題ないですよ 。信仰心が変わらなければ」。 もちろん、葬儀に出席して、手を合わせて先祖に祈る儀式に参加することはムスリムとして許されないと彼は言う。日本人ムスリムの多くと共通する解釈だ。 ラザさんは、奥さんが自分の親の葬儀に参加することをとめる外国人ムスリムがいるのは、「私の想像では勉強不足」だからだと言う。ラザさんは、自分がよく知るパキスタン出身のムスリムに限定した話をしてくれた。彼の見解では、パキスタンではコーランを自分できちんと理解せずに、人に聞いた話を鵜呑みにしてしまう人が多いと言う。 そして冠婚葬祭に参加することの是非に関する問題を次のように分析する。 「パキスタンの男は、物事をきちんと理解することよりも、自分のプライドのことをいちばんに考えちゃうのよ。奥さんや子どものことよりも、自分のプライドのこと。『私が言ったのは正しいんだよ。間違ってないよ』と」 聖書聖書は、火傷の痛みを取る |
こちらは外国人ムスリムですが、上記の日本人ムスリムと同様の考え方・指摘をしています。
以下、続きます。
そもそも、ムスリムとして生まれ育っていながら、多くの外国人ムスリムが、イスラム教の勉強不足だとはどういうことなのだろうか? 日本のムスリムの間では、ムスリムの家庭に生まれて、ムスリムとして育てられた信者のことを「ボーン・ムスリム」と呼ぶ。外国人のボーン・ムスリムの中にはイスラム教の正確な知識を持たない人が多いという指摘は、日本人ムスリムと外国人ムスリムの両方から耳にする。 外国人ムスリムは、まず自分の親からイスラム教を学ぶ。イスラム教の教えは生活のあらゆる側面をカバーするので、親が子供をしつけていると必然的にイスラム教の教えを子供に伝えることになる。 しかし厄介なことに、親が子供に教えるイスラム教の内容が、常にイスラム教の正しい教えであると� ��限らない。 茨城県日立市にある日立モスクを訪れた時、1人の外国人ムスリムが、断食中はひげを剃ってはいけないと、自信満々に筆者に説明し始めた。すると、その話を横で聞いていた別の外国人ムスリムが、「そんな話は聞いたことがない」と言って会話に割って入ってきた。自信満々に説明していた人は急に弱気な口調になり、「そのように自分は親に教えられた」とつけ加えた。 結局、どちらもイスラム教の教えについての深い知識を備えていたわけではなかったので、どちらが正しいのか結論は出なかった。 (中略) 取材に応じてくれた外国人ムスリムの見解をまとめると、外国人としての文化的な違いによる戸惑いや問題はあるし、日本人ムスリムと共通の問題もあるが、外国人ムスリム特有の問題はないという一点に集約される。イスラム教を信じていることが、日本社会との間の摩擦の原因となることはない。 しかし、夫婦間では、自国の固有文化とイスラム教の教えとの混同という、外国人ムスリムゆえの問題が発生する。文化や風俗・習慣上の違いを宗教に根ざしたものだと思い込むと、その違いを乗り越えて配偶者と協調することが難しくなる。これはイスラム教が"原因"となる問題ではなく、イスラム教と"絡んだ" 問題だ。 |
前回と同じようなことを書いちゃいますけど、こういったいさかいは宗教特有の問題でなく普遍的な問題です。
最初の一夫多妻制、女性差別まで全部ひっくるめて言えると思いますけど、相手を思いやるのが大事というのに、何教であるかは関係ないでしょう。
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