■日本映画の感想文■だいじょうぶマイフレンド
「だいじょうぶマイフレンド」の「だいじょうぶ」と「マイフレンド」の間に「?」を入れてみる。「だいじょうぶ?マイフレンド」ほーら全然意味が違っちゃうでしょう?かつ、こっちのほうがバッチシでしょう?日本語と言うのは偉大でしょう?ってそういう話じゃないですけど
そらまあ、本書いた人と映画作った人が同じですから「原作に忠実か否か」という議論はさておき、むしろ活字にしてしまったことで欠落したイマジネーションを映画でフォロー使用した結果がコレ、ってことなんじゃないですかね。ただし、映画のプロフェッショナルじゃないんですよ村上龍は。餅は餅屋なわけですから、そのへんは割り引いて見てあげましょうね。(なんか優しいかも?今日の私)
直面している手のひらが上向きに呼ばれてい
アメリカで「救世主」として何世紀にも渡り活躍していためちゃめちゃ長命な宇宙人が、任務に疲れて故郷の惑星へ帰ろうとします。ところがパワーが落ちていて、日本国の首都、東京のゴージャスなホテルのプールに落下してしまうんです。ヘンテコだけど人柄は良さそうなこの宇宙人を匿ったのは、トレーラーで共同生活をしている音楽が好きな3人の若者。
やがてこの宇宙人を付け狙う団体に、宇宙人と3人組みの一人が捕まってしまいます。残った二人が潜入したアジトには、人間の感情や楽しさを奪われた仲間と他の多くの若者が、まるでロボットのように働かされていました。二人は仲間に音楽でメッセージを送ります。敵のロケットを粉砕した宇宙人とともに、感情を取り戻した若者達に笑顔が戻ります。生きる気力に満ちた若者達にふれあったとき宇宙人にもパワーが蘇ってきます。「ボクも仲間のところへ帰るよ」そう言って宇宙人は笑顔で大空に飛び去って行くのでした。
純粋な宇宙人のパワーの源は「人間の純粋な夢と音楽と友情」だったというメルヘンなオチ。村上龍の原作+脚本+監督。だいたいこの人の映画はいつもこうなるんですね。「華麗な底の浅さ」というか、「壮大な自主制作映画」というか、、そしてコケます。
ピーターフォンダに天文学的金額(当時)のギャラを払って呼びつけ、演らせたのが、 「トマトを見て失神する(でもジュースは平気)」、「アイスクリームの天ぷらが好物」、「射精一発で鋼鉄ロケットを吹き飛ばす」等というワケの分からない宇宙人役。フォンダも内心「シマッタ(もちろん英語で)」と思ったことでしょう。でも魅力?ジャパンマネー。
さて、けなしてばかりいては気の毒。ロック好きな若者3人組の一人で、ヒロインを勤めるのはバレリーナだった広田玲央奈。巨大なバストを惜しげもなく披露する彼女が、宇宙人を励ますためだかなんだかで、駐車場でいきなり主題歌を調子っぱずれに歌いながらバレエを踊り出すんです。笑ってんだか、泣いてんだかよく分からない声と表情にインパクトがありすぎ、発狂したじゃないかと内心、恐くてたまりませんでした。
宇宙人を付け狙うショッカーみたいな地下組織の首領が根津甚八で、これがなんとホモです。ホモセクシュアルであることはいいですが、センスがダサいのは全然ダメです。紫色の詰め襟学生服をぴっちりと着こなし、容姿端麗な美少年を伴って自信たっぷりに登場し、宇宙人をトマト責めで拷問にかけます。責める、ったって逆さに吊ったりするわけではありません。トマトのベッドに半裸で宇宙人を縛りつけるだけ、です。さらに根津甚八は、宇宙人がオナニーの際、発射した精液爆弾で自慢のロケットを破壊された挙句、崩壊した基地で美少年の部下と手を取り合って死ぬんです。
この映画を作ったキティフィルムでは、この作品は「なかったこと」にされているらしいですね。んで、懲りずに作った松田優作先生の「ア・ホーマンス」。こっちでも痛い目をみるので、あまり同情はできないですがね。
(1996年08月17日)
【追記】
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