手塚治虫「アドルフに告ぐ(下)」
眠気覚ましでやったんですよ
懸命にお桂は峠の看病をする。「どうしてこんなに世話を焼くんだろうね。今夜初めて会った男なのに」そこに警察がやってくる。「島で殺人があった。三人殺され、一人は外人で、一人は大阪の捜査課の刑事だ。腕をケガした若い男は来なかったかね。峠という重要参考人だ」お桂は峠をかくまって知らぬぞんぜぬを通す。警察は帰り、峠は世話になったとお桂にわびる。「いいんですよ。これも何かの縁でしょうよ」「俺は確かに人間を撃った。しかし、こっちが撃たなきゃ殺されていた」
「刑事さんを殺したって本当ですか」「とんでもない。仁川刑事を殺したのはドイツ人の殺人鬼さ」俺にはもうツキがないと嘆く峠。「でも、お客さんにはいい人がいたでしょう」「そんな女はいないよ」「あきれた人。一生に一度ぐらい火みたいに女に焦がれてごらんな」「俺には弟との約束が生きがいだったんだ」朝にあって、お桂は峠を診察するよう、近くの医者に頼む。「わしゃー、けが人と死人は食傷気味なんじゃ。なにしろけが人二人、死人が三人かつぎ込まれたんじゃ。けが人の一人は岬の裏の小城っちゅう家の娘っ子でよ。その兄貴の辰蔵は刃物で刺されて死によるし。刑事とかいう人と、外国人が頭をぶちぬかれよるし、もう一人のケガ人は全身打撲の上、頭がいかれとるしよ」
医者は峠に注射をうって帰る。そこへランプがやってきて、峠を殺そうとする。「貴様、防弾チョッキをつけていたのか。だから死なずにすんだのか」そして峠はランプを部屋からたたき出す。「トーゲ。俺は貴様を忘れんぞ。ローザの死をあながわせるためにも。貴様をとことん追いつめてやる」「どうしようと勝手だがな。文書だけは、もうてめーの手には入らないんだ」そして峠は重要参考人として警察に連れて行かれ、小城先生と再会する。
「小城先生。よく生きて。ランプに撃たれたのでは」「弾丸はそれたんです。気を失って意識が戻ったとき、いっさいが終わってました。血の海と死体。峠さんも賊ももう見えませんでした。近くを漁船が通り、助けられました。そして何もかも刑事さんに話しましたの。ごめんなさい。兄のために貴方まで」「それより兄さんがなくなられてお気の毒でした」峠はトイレに行く。そこで壁をたたく音が。「峠さん。小城です」「先生もトイレですか」「ここでしか、内密のお話はできませんもの。大事なことがあるんです。貴方は注意人物で見張られていますから」
小城はヒットラーの文書を持っているという。「なんですって」「崖を降りようとしたとき、渚の岩に紙片が落ちていました」「本当ですか。あれ海に落ちてなかったんですか」「ええ」「ぼくにください」「貴方が見張られていることを忘れないでください。貴方がこれを持っていはりますと、いつかきっと官憲の手に渡りますのや」「その前に僕はそれを公表する」「危険です。ドイツと日本は友邦ですさかい。もしドイツ政府から正式に日本にその文書の返還を求められたら。貴方はどちらかに手ですぐに消されますわ。それより、とりあえず貴方のご存知ない人に私が頼んで預かってもらいましょう」「誰に?信用を置ける人ですか」
「神戸に私の教え子でユダヤ人がおります。文書の内容をよく言い含めて、時期が来るまで預からせます。絶対、信用できる子ですわ」「なるほど。ユダヤ人なら信用おけますな」そして峠は釈放され、仁川の娘の三重子がやってくる。「おとむらいをすませたら、お骨を持って、一緒に大阪に帰りましょう。今や、ひとりぼっち同士ですからな」「ええ」そこにお桂もやってくる。「やあ、おかみ。おかげで元気になったよ。それに嫌疑も晴れた」「よござんでしたね。大阪へ帰るんですか」「仁川刑事のお骨を拾ってな。おかみ、この人はなくなった刑事さんの忘れ形見だ」
お桂は三重子をにらみつける。(この娘、この人に惚れている。こんな小娘にこの人を連れていかれてたまるもんか。私の男だよ)そして追ヶ浜の駅のホームで話し合う峠とお桂。「ほんとにお世話になった」「昨日の今頃でしたね。貴方がうちへやってきて、あれからまだ一日なんですねえ。長い一日でしたねえ」「なんとお礼いっていいかわからんよ」「あたしゃ眠気覚ましでやったんですよ。あの町にいると心もさびついてしまいますのさ。貴方が来ていい錆おとしになりましたよ。あんなところ、貴方みたいな人は二度と来ちゃいけませんよ」
「いや。きっとまた、おかみの店へ行くよ。なにもかも一段落したら」「貴方は二度と来ないわ。ただの客でしょ。それはそうと、おかみ、あんたの部屋にあった写真だが。おかみの好いた人だったんだね。警察であんたの身の上聞いたよ。あの男が戦死したなんて、信じてないんだろう。あの町に戻ってくると待っているだんろう」「もうやめてくださいよ。新派の芝居じゃあるまいし」「いや。俺も戦地へたたき出される身だからさ」「貴方みたいないい人が。いい人はみんな送り出されてしまうんですねえ。誰がこんな戦争を始めたんだろう。憎らしい」
峠はお茶を買いに売店に行く。お桂へ三重子に話しかける。「仁川さんのお嬢さん。失礼だけどおいくつ」「数えで二十です」「そう。お父さんも亡くなったし、身を固めることも考えなきゃね。なんだったら私も探してあげましょうか」「いいんです」「好きな人でもいるの。でも、峠さんみたいな人は結婚したらダメよ」「なぜ」「ムキになるのね。あの人は戦地に送られ、敵に殺されるのがオチさ」「死んだのはお父さんだけで沢山。もう誰も殺させない」「女の愛なんて、戦争にはどうにもならないものなのよ」「峠さんは、あたし絶対に殺させないわ」
峠とお桂はくちづけをかわす。「おかみ。大阪に来ないか」そして峠と三重子は大阪行きの汽車に乗る。しばらくホームにいたお桂は、駅を出てタクシーに乗る。「先に出ていった大阪行きに乗れるかしら」「あれは確か舞鶴で10分止まるはずや。よろしおま。やって見ましょ」「待って。追ヶ浜にやって」「追ヶ浜?」「そこが私を呼んでいるのさ」
昭和15年1月。峠草平はぬしのいなくなった仁川刑事の家でささやかな正月を迎えていた。峠はゆうことのきかない左手を嘆く。「あの時、傷の治療をほっといて逃げ出した天罰かい」「きっとスジか神経が切れたままなんやわ」峠の左手を握り締める三重子。「毎日マッサージしてあげる。あたし、お父さんのいなくなったこの家にあなたにずーっと住んでいただこうと思っているのよ」「それは本当にありがたいけど、僕もいつまでもブラブラしているわけにいかんです」
そして峠のところに召集令状が届く。しかし検査で不合格になり、峠は三重子のところに戻る。「左腕がつかいものにならんそうです」「じゃあ戦争に行かないですむんですか」「ああ。兵隊失格」「よかった。銃後だってお国に尽くすことはできますもん」「死ぬまで左手は自由がきくまいって結論すよ」「じゃあ、ずーっと戦争に行かずにすむじゃありませんか」「三重子さん。手がきかないのを喜んでいるんですか」「ごめんなさい。でも戦争に行ったら、左手どころか命を落とすかも。そうよ。命拾いしたのよ。峠さん、お父さんみたいにムダに命を捨てないで」「……」
お前の態度は男らしい
神戸で小城先生は駅前の喫茶店でアドルフ・カミルと会っていた。「小城先生。あけましておめでとう」「アドルフ・カミル。あなたいくつになったの」「12歳です」「アドルフ・カウフマンから便りある?」「あります。でも、あいつだんだんナチスにそまってきよって」「やっぱりねえ。実はねアドルフ。おりいってお願いしたいことがあるの」文書をアドルフに渡す小城先生。「これを命をかけて預かって欲しいの。これは、あなたたちドイツ人の運命がかかっている書類なんよ」「なんですって」
「ドイツを平和にする力がある書類やわ」「まさか」「ある人がドイツから送ってよこしたの」「あのお。ヒットラーの手紙じゃ」「え。大きい声出さんで。私ねえ、何も悪いことをしてないのに、つけまわされてるの」「知ってます。特高刑事」「シッ。今の日本はね、自由な思想を持っている人間は、みなアカだといわれるの。でも、あなたならよっぽどのことがない限り、にらまれることはまずないわ。誓って。誰にも絶対口外せんこと」「はい。誓います。安心してください。命にかけても守ります」
書類をもってアドルフがパン屋に戻ると、そこではユダヤ人が不安そうに集まっていた。「ママ。なにかあったの」「なにかどころじゃないわよ。ナチスがね、ついにポーランドの私たちの神学校まで襲い出したんだよ」「なんてこった」ドイツ軍はポーランドになだれこみ、フィンランドにも侵入した。ワルシャワ陥落に一ヶ月かからなかった。そして恐るべき殺戮が行われたのである。ことにユダヤ人の摘発は狂ったように凄まじかった。
ユダヤ人たちは大きな札をぶら下げられ、一人残らずゲットーへ送り込まれた。神聖であるべきユダヤ学校や教会も焼き払われ、ラビは処刑され、学生たちは強制労働に追い立てられて、野垂れ死にした。最も格式の高いミール神学校の学生たち500人はからくも祖国を脱出して、アメリカへ亡命しようと、ソ連の衛星国リトアニアに隠れていた。だが、そこも安全ではなかった。
「その人たちを救うことは私たちユダヤ民族のつとめなんだよ。その人たちを上海経由でこの神戸に連れてきて、アメリカ亡命まで住んでもらおう、とみんなで話し合ってるの」「この神戸に。どうやって連れてくるんだい」「どうするかねえ。神様が力を貸してくださるわ、きっと」書類を見つめるアドルフ。「おれの持っているものが神様のおめぐみかもしれない。これをパパに渡せば、もしかしたら救いの道が開けるかもしれない」
そして、アドルフの父がリトアニアに行くことになる。「あなた。リトアニアはソ連と一緒にナチスと手を握った国でしょ。あそこは危ないわ」「だが、そこには救いを求めている同胞が500人も立ち往生しているだ。断じて日本に連れて行く」アドルフは父に文書を見せようとするが思いとどまり、戸棚に隠す。もし、その時、アドルフの父親が読んでいたら歴史は変わっていたかもしれない。イザーク・カミルは上海に向って旅立つ。それがアドルフ・カミルが見た最後の父の姿であった。
リトアニアについたイザークであったが、ついた早々パスポートを盗まれてしまう。「大変だ。新しいパスポートの申請にドイツ領事館などに行けるものか。そんなところに出向いたらユダヤ人というだけで、拘置されてしまうだろう。どうしたらいいんだ」そしてイザークは捕まり、難民扱いされて、ドイツ送りになってしまう。
アドルフ・カウフマンはAHSで訓練を行った後、クラスメートのフリッツに決闘を申し込む。「今朝の僕に対する侮辱のお返しをしてやる。僕の血が半分日本人の血だから、ドイツ魂も半分しかないと言ったことを取り消せ」「お前が純粋のアーリア人じゃないってことは確かじゃないか」「また言ったな」フリッツに殴りかかるアドルフ。喧嘩をとめる教官。「アドルフ。お前の態度は男らしい。お前の体内に東洋人の血があるないは、当校では問題にしとらん」
そしてアドルフは強制収容所見学に行く。その中にアドルフは見知った顔がいるのに気づく。「どこかで出会った。そうだ、神戸だ。パン屋のアドルフ・カミルのオヤジさんじゃないか」イザークもアドルフに気づく。「あんた。カウフマンの息子?カウフマン君。わしの身元を証明してくれ。わしが日本に住んでいることを証明してくれ」教官がアドルフに聞く。「この男は知人かね」「……。いえ。人違いです。ぼくの知っている人がこんなところにいるはずがありません」
バスの中で演説をぶつ教官。「ユダヤ人はドイツ国内に堕落と退廃を持ち込む。おまけにスパイ行為を平気でやって、ドイツを敵国に売るのだ。わかったかな。これがユダヤ人の正体だ。最も恐ろしいのはユダヤ人がコミュニストと手を組んで、世界に牙を向けることだ。そういう犯罪者や裏切り者をあそこへぶち込むのが、SSやゲシュタボの仕事なのだ。どうかね、国のためにそういう奉仕をやってみたくないかね」「ぼく、やりたいです」「ぼくも」アドルフは考え込む。(アドルフ・カミルのオヤジさん。どこで捕まったんだろう。神戸かな)
三ヵ月後、アドルフはフリッツらとともに、ヒットラー・ユンゲラー・パトロール隊に編入される。アドルフの最初の仕事はユダヤ人の家や住人にユダヤのマークをつけることか、ユダヤ人の店を徹底的に破壊することだった。アドルフは破壊活動のほうが好きだった。「出て来い。さっさと出て来い。ユダヤ人」家から4人の家族が出て来る。「名前を言え」「クライツ・ゲルトハイマー。妻のベラ、娘のエリザ、倅のゼフ」「ユダヤ人だろう」「そうだ」「よし。そのバッジにそれぞれに名前を書いて胸につけろ」しかし、アドルフはエリザの美しさに気を取られて上の空になる。
「ねえ、君。それだけは勘弁してくれんか。私は今までナチス政府に協力してきたんだ。だからこそゲットーにも行かずにいられるんだ」「うるさいな。ユダヤ人のくせにつべこべ言うな。さあ、胸につけろ」「いっそ、今すぐ私たちをゲットーに送り込んだらどうなの」「あとのことはSSがやる。僕らはバッジを渡す役目だけだ」「あなたたちは子供だから何もわかっていないのね」「黙れ」
方法を知っているあなたのdemonically虐げられた場合
そしてアドルフは五日連続エリザの夢を見て夢精してしまう。たまらずエリザの家に行くアドルフ。「何しに来たの。もうユダヤ人のバッジは貰ったわ。今度は家の中を壊す気なのね」「年はいくつだ」「15歳」「日本人の血は混じっていないのかい。髪の毛も黒いし、どことなく東洋人みたいだ」「わたしの三代前が香港で中国人と結婚したそうです」「そうか。僕は日本人との混血さ」「あの、身元調べでしたら、パパもママもいないから」
「いや、そんな用じゃないんだ。今日来たのは、その、プライベートな用事で。前に渡したユダヤ人のバッジなしで暮らしていい。これは僕個人の好意だけど」「なぜですか」「理由はないさ。僕の好意と言ってるじゃないか」「それじゃあ、パパもママも弟もみんな免除してもらえるんですね」「違う。君だけだ。ほかの家族はダメだ」「わたし一人だけが許されるのなら、お断りします」「なぜだ。君だけでもゲットー入りを免れるんだぞ」「どうして私一人だけが、そんな特典をもらえるんですか」「そんなことをいちいち聞くな」「……」「もういい。さようなら」
豚と思え
アドルフはエリザのことが気になって、授業中も上の空になる。そしてアドルフはエリザを公園に呼び出す。その様子を写真に撮るフリッツ。「ユダヤ人の摘発は、実はだいぶ曖昧なんだ。まずユダヤ人の血が入っていても、キリスト教徒なら免れる。つまりユダヤ教の信者だけをユダヤ人とみなしているのさ」「知ってるわ」「だから君がキリスト教に改宗すればいい」「改宗なんて、とんでもないわ。私達は生まれたからずーっと私たちの神様に守られているわ」
「それなら亡命するんだな。ポーランドや東へ亡命してもダメだぞ。南なら割と取りしまりが甘いんだ。スイスか南フランスに出ればいい」「どうして、私の一家をそんなに心配してくださるの。ユダヤ人の味方?あなた、ヒットラー・ユーゲントなのに」「ユダヤ人の味方じゃない。君にだけ同情しているんだ」「私だけ?どうして」「もういい。帰れ。腹が立ってきた。ユダヤに同情なんかするもんか。ただ。君が好きなだけだ。行け」
フリッツはエリザのあとをつけて、彼女がユダヤ人であることを知る。「わが闘争」を読むアドルフ。「大衆はただユダヤ人が存在するだけでも、すでにペストと同じくらい危険だと感じとっている。ユダヤ人は教会や町に居座り、国家の中にユダヤ人国家を作ってしまうのだ。ユダヤ人の攻撃手段は堂々たる戦いでなく、ウソと中傷だ。彼らは卑劣さという武器で、途方もなく大きくなる。悪の象徴。悪魔の化身なのだ」
「わが闘争」を叩きつけるアドルフ。「そんなことはわかってる。そんなことは百も承知だ。俺はユダヤ人を憎めるぞ。だけど彼女だけは。彼女は悪魔かもしれない。悪魔がこの俺を堕落させるための誘惑かもしれない。だけど俺はエリザを愛しているんだ」そしてフリッツはアドルフとエリザの写真をアドルフに見せる。「あの娘といい加減に手を切って処分しろよ。こりゃあ忠告だぜ」「フリッツ。このことは秘密だぞ」
そしてアドルフは森の中に呼び出される。そこにトラックがやってくる。トラックから出て来るユダヤ人。ゲシュタボ・ユダヤ移民センターのアイヒマン大尉の敬礼するアドルフ。「君は純粋のドイツ民族でなく、混血人種だ。ナチスは純血のアーリア人を求めるが、君のような異民族の血のまじった者は忠誠度を試さなくてはならん。君にケダモノを一匹しとめてもらう。二本足の醜いケダモノだ。アドルフ・カウフマン。一人を選んで撃ってみろ」「はい」
そこにイザークがいるのを見て、ギョッとするアドルフ。「人間と思うな。豚と思え」「アドルフ・カウフマン君か。助けてくれ。君ならわしを証明できる」アドルフは三発発砲してイザークを射殺する。そして木陰で嘔吐するアドルフを慰める教官。「無理もないさ。俺も最初に自分が殺した死体を見たとき、吐き気がしたよ。俺は志願兵で前線に出た。18歳の時だ。すぐさまフランス兵を殺した。だが、敵を殺すことを平然と行えるようになるには、一年もかからなかった。君もじきなれる」
アドルフ・カウフマンは由季江に手紙を書く。「ママ。今日僕は人を殺しました。教官の健メル先生は人殺しなんか戦場に行けば、すぐ慣れると言いました。一人目は殺すのにすごく手間がかかりました。でも二人目は一発でやれました。こんなことを平気で手紙に書く僕は気が狂ったと思いますか?あと2、3年たつ僕もゲシュタボの隊員のように、ニヤッと笑ってユダヤ人を殺せるようになるんでしょうね。そうすれば僕はあっぱれな愛国者なんですね」書いた手紙を破るアドルフ。「こんな手紙を検閲さえたら、僕はたちまち収容所おくりだ」
そしてユダヤ人一斉摘発の情報を手に入れたアドルフはエリザの家に行く。「重要な話があってきたんだ」「エリザのことですかな」「あと5日のちに一斉にユダヤ人狩りが始まる。君たちは財産を全部はぎとられて収容所に送られる」「そりゃあ何かの間違いでしょう」「SSの少佐が話していたぞ」「坊ちゃん。折角のご好意だが、うちは亡命する気はありませんよ。何度もユダヤ人狩りはありましたが、うちはある理由があって常に除外されているんです。今回も同じですよ」
そして帰ってきたエリザにアドルフは逃げるようにアドバイスする。「逃げるって、どこに逃げたらいいの」「君の家は金持ちだな」「お金はあるわ」「よし。スイスを通って南フランスのマルセーユへ出ろ。そして東洋航路の船に乗るんだ」「どこへ」「日本さ」「日本ですって。そんな遠い国」「日本は東洋でユダヤ人は安全に暮らせる一番いい国なんだぞ。ぼくのママが神戸という町にいる。手紙を出しておくから、きっと君たちを迎えに来てくれる。それから僕の友達にユダヤ人の」「あなた、ナチスのくせにユダヤ人の友達がいるの。偽善者ね」「そんな目で見るな。これだけは誓う。僕は君の味方だ。どうしても君を助けたいんだ」
そして強引にアドルフは、エリザ一家をフランス行きの肉の運搬車に乗せる。そしてユダヤ人の一斉摘発の日が来る。そしてエリザの一家は家にエリザを除いて家に舞い戻っていた。「なぜだ」「残してきた金をスイスの銀行口座に移そうと思って。ちょっと戻ってきたんだよ」「愚かなユダヤ人め。出ろ。もう、おしまいだ。ゲットーへ送ってやる。待て。エリザはどうした」「あの子だけ先に行かせたのです」「じゃあ、エリザだけ国境を越えられたのか。よかった。残念だな。お前たちは。もうエリザと会えないぞ」エリザの父はゲーリングからの手紙を隊長に見せて、見逃してくれるよう頼むが、隊長は手紙を破り捨てる。「君、訴えるぞ」「馬鹿者。おれを見下すような口をきくな。ユダヤの豚め。貴様らに似� ��いの豚小屋を用意しているんだ」
そしてアドルフ・カウフマンはアドルフ・カミュあてに、エリザの面倒を見てくれるよう手紙を書く。そしてアドルフ・カミュから返事が来て、汽車の中で読むアドルフ・カウフマン。「この手紙は日本語で書く。ヒットラー総統は狂ってるとしか思えない。ロッテルダムでは3万人の市民の真ん中に爆弾を落としたそうじゃないか。君の手紙にあってエリザという娘のことは引き受けた。今度は僕の願いを聞いてほしい。ぼくの父のことなのだ。ぼくの父はリトアニアにたって、そのまま行方不明なんだ。ナチスに捕まえられたのかじゃないとも思うが、もし父の消息を聞いたら知らせてくれないか」
頭をおさえるアドルフ・カウフマン。「アドルフ・カミル。僕は君のオヤジを殺したさ」そしてアドルフは隊長に質問される。「この列車に重大容疑者が乗っている。口ひげを生やした東洋人だ。見かけなかったかね」「いいえ」「ほんとに見かけなかったかね」「誓います」「では聞くが、君の読んでいた手紙は誰から受け取ったものだ」「これは日本の友人から送られた手紙です」「ちょっと見せてくれたまえ。これは預からせてもらう」「それは決して怪しい手紙じゃありません」「翻訳させて、そいつから受け取ったものでないことがわかれば返す」
頭をかかえるアドルフ。(あんなものが翻訳されて内容がわかったら、僕は破滅だ。中は総統の悪口でいっぱいなのに)吐き気を覚えたアドルフはトイレに行く。そこに口ひげを生やした東洋人がいた。アドルフと東洋人はもみあって、列車から落ちる。なんとか東洋人を倒したアドルフは傷ついて倒れ、気がつくと病院にベッドにいた。そこに隊長がやってくる。「君に手紙を返すよ、カウフマン君」「翻訳しなかったんですか」「我々が探していた文書はあの香港のスパイは持っていた。君の功績は総統のお耳にはいっているはずだよ」
ママはゲイシャとは違います
そしてアドルフはヒットラー総統と会見する。「なあ、カウフマン君。わしは肉はいっさい食わん。酒もタバコもたしなまんし、コーヒーや紅茶もほとんど飲まんのだ。わしが君ぐらいの頃、わしの生活はどん底で、ほとんど人並みのものを食えなかった。だから贅沢なご馳走を食おうとも思わん。わしは常に労働者や貧乏人の立場だ」「……」「ところで君の母親は日本人とか。母親はどういう人だ。ゲイシャかね」「ママはゲイシャとは違います!」「ゲイシャがどうしていけないのかね。敬意を表して言ったのだぞ」「すみません。つい、どなってしまいました。お詫びします」
「わしは日本が好きだよ。頼もしい友好国だ。わしは今年中に日本とイタリアとわがドイツが三ヶ国軍事同盟を結ぶことを考えとる。だが、日本の外務省はわしの提案をしぶっとる。わからずやの日本の馬鹿どもめ。ヤツラは世界の趨勢を見る才能に欠けている。日本人はアーリア民族ではない。だからドイツの考える理想敵千年王国計画を理解できる頭脳はない。やつらはしょせん二流民族なのだ」興奮するヒットラーに唖然とするアドルフ。
そして冷静さを取り戻すヒットラー。「アドルフ・カウフマン。君をこの総統つき秘書見習いとする」「はい」「わしは今後日本をよく知らねばならん。日本人の国民性をよく研究せにゃならん。君はその見本だ。日本には世界最大の木造建築物があると聞いている」「はい。奈良の東大寺大仏殿です」「見てろ。いずれドイツもそれを凌駕する木造建築の劇場を作る。そこでオペラを上演し、世界の名士を集めるのだ。もちろん大部分はこのわしが設計するのだ。わしは建築家としても超一流ということを見せてやる。だしものはワグナーだ。これを一週間ぶっつづけで上演する」次第に興奮していくヒットラー。また唖然とするアドルフ。
「私の平和の願いをさえぎる馬鹿どもがあまりに多すぎる。そいつらはこの私を蔭で嘲笑し敵視とるのだ。ダンケルクでそやつらに煮え湯を飲ませてやった。次はフランスの番だ。ゲーリング」「は」「赤号作戦を即時開始せよ。空軍を出動させ、パリを空襲させよ」アドルフは総統の部屋を出る。「副官どの。総統には親友はいらっしゃらないんですか」「総統には優秀な部下は大勢おられる。だが、友達となるとどうかな」そこへ女性がやってくる。「いや。たった一人友人がいる。エヴァ・ブラウンだ。総統が心から愛し心を許しておられるたった一人の女性だ」
そしてアドルフを訪ねてランプがやってくる。「私は君の父上と同期なのだ」「同期。学校ですか」「いや。前の戦争のとき、捕虜収容所にぶち込まれたのが一緒だった。我々は若かった。捕虜生活の間にドイツの将来について話し合ったものだ。戦後二人とも相次いで情報部に入った。ヴァルフガング・カウフマンはやがて日本へ派遣された。父上がなくなったのは遺憾だ。昨年未亡人にもお会いしたよ」「ママに」「美人だな。だが、もう虫がついとる」「虫。なんです、それは」
アドルフの上官が説明する。「ランプ部長はあるものを追って、日本へ渡られた。だが昨年の暮れ、重傷を負って帰国されたのだ。そのものはまだ日本にある。ものをもっていた男も無事でいる。他の情報部員がそいつを見張っているが、ものの行方はわからん」「ものって何です」「わがドイツの興亡にかかわる大事なものだ」
1940年9月、日独伊三国同盟が締結される。ヒットラーは今や世界をチェスの駒のように自由に動かせる自信を持っていた。だが彼にもアキレス腱があった。アドルフ・カウフマンはヒットラーが山荘にきたとき、愛人のエヴァと会話しているときにそれを知る。「ランプ部長が目的を果たせなかったといって、そんなにお悩みにならないで」「あの文書が日本人の手にはいったのだ。日本でもし文書が公表されてみろ。わしは生きておれん。いや、死後も永久に最大の恥辱を受けるのだ」「ゲッペルス様がうまくもみ消しますわ。あの方は天才ですもの」「わしは生涯怯えながら死ぬんだ。わしの体にユダヤ人の血が流れとるなんて。わしは薄汚い害虫のユダヤ人の家系だ」「ねえ、閣下。もっと楽しいことを考え� ��しょうよ」「あのランプの役立たずめ」「あなたは偉大よ。たとえユダヤの血が」」「もう、それを言うな。わしは気が狂ってしまう」ショックを受けるアドルフ。「総統が、ユダヤ人の血統。そんな」
そして日本についたエリザはアドルフ・カミュのパン屋に居候することになる。アドルフ・カミュはエリザに一目ぼれする。ある日、アドルフ・カミュは在日ユダヤ人同士でトラブルがあることをエリザに告白する。「日本へユダヤ人亡命者をどんどん受け入れて、その上アメリカに亡命させようという派と、これ以上神戸にユダヤ人が増えるとお互いに生活の足をひっぱるからと反対する派」「あたし、日本に来ないほうがよかったのかしら」「とんでもない。貴女は堂々と神戸にいてええのや」
なぜユダヤ人は613ミツワーを持っていますか?
「あたし、自分の国が欲しいわ。南極でもいいの。ユダヤ人の国に住みたいわ」「誰かてそうや」「この港のように青い海に暖かい南の風が流れて、たくさんの鴎が見える丘の上にあたしの家があるの。ドイツ人は一人もいず、ユダヤ人だけの大学に通って、ユダヤ教の歴史を習うの。そこは、きっとあたしたちの祖先の土地。パレスチナだわ。そこを私たちヘブライ共和国と名付けしましょうよ」「いや。イスラエル共和国のほうがピッタリやろ」思わずエリザにキスするアドルフ・カミュ。「調子に乗らないで。わたし、そんな女じゃないわ」
そしてアドルフ・カミュの家はドイツ総領事館の手で徹底的に調べられる。アドルフは小城先生のところに行く。小城も特高に徹底的に調べられていた。胴巻きに隠していた文書を見せるアドルフ。「ところで、先生。この手紙読ましてもらいました。ショックでしたわ。ヒットラーがユダヤの血筋なんて。先生、こんなもん、一日でもはよう世界中に公開してしまわなあなりません」「勿論よ。でもそれはある人から預かってるものやし、いったいどういうルートで公開したらいいのか、迷っているの」「大新聞へ送って、全文のせてもらったらどうです」
「それは危険なんよ。ナチスへの迎合分子がどことも結びついていますからね」「じゃあ、どういう方法でもこれを発表でけんというんですか」「ひとつだけルートがあるわ。絶対に反ナチの人々。安心して手渡せる人々」「それは」「共産主義者のグループよ。ソ連の良心的な平和主義者の人々に渡せば、きっと安全な方法で全世界に発表するわ」小城は自分が尊敬するドイツ文学者の桑山にアドルフを会わせようとするが、桑山は自殺しており、ヒットラーの出生文書は、ラムゼイに渡せとメッセージを残していた。
「ラムゼイは平和のために役立ててくれる。有馬温泉「芳菊」本多サチの甥がラムゼイの連絡員だ」「ラムゼイって何やろ」そして有馬に行った小城とアドルフは、本多サチが5年前に殺された芸者の絹子であることを知る。「この絹子の甥がラムゼイの連絡員だったのか」「その甥という人を探すことやわ。アドルフ。これは手間のかかる仕事になりそうやね」「いや。手間がかかっても、どうしても見つけます。ラムゼイの正体も知りたいし」
立派な警察官だったんですね
昭和8年9月。横浜港に着いたクイーン・エリザベス号から一人ドイツ人が日本に上陸した。その名はラムゼイ。ドイツのフランクフルター・ツァイツング新聞社の特派員だった。この男ラムゼイは長年新聞記者をやっていたのでなければ、ナチス党員でもなかった。それどころか上海に長くいたし。モスクワに常に出入りしていたのだ。ラムゼイはたくさんの名前を持っていた。彼の家には日本のさまざまな本や資料をドイツ訳英訳したものがあった。ラムゼイは深く日本を研究していたのだ。もちろんそれには大きな目的があった。
ラムゼイはソ連情報部の第一級のスパイだった。ラムゼイの目的は日本がソ連を攻撃するかどうかを確かめ、それをモスクワに知らせることだった。本多芳男は東京でネガのはいった本をある男に渡し、神戸の家に帰る。そんな芳男を父の本多大佐が呼ぶ。「おまえ、昨日の朝、わしの部屋にはいらなかったか」「はいってないよ。どうして」「わしの机の上の書類かばんの錠前がこわれているのだ。前にもこんなことが一度あった。このかばんには第四師団37連隊の関係書類が入ってる。外部の者に見られたら責任問題じゃ」「かばんを買い換えたほうがいいですよ」
「芳男。それはそうと、お前予科を再び受けようという気はないのか。わざと赤点をとりおって。本多の面汚しだ。来年こそきっと受かれ」物語の初めでカウフマン邸のパーティで本多大佐が連れてきた生徒こそ、本多大佐の一人息子の芳男であった。ラムゼイには一般に知られた本名があった、リヒャルト・ゾルゲ博士。そのことアドルフと小城先生はなおも本多サチの身元を洗っていた。そしてアドルフはサチの墓の前で甥が来るのを待つ。そこにやってくる芳男。
アドルフは芳男に聞く。「あんた、桑山先生いうドイツ文学者知ってます」「知らん」「じゃあラムゼイは」「知らん。貴様の言っていることは何一つわからない。俺はあの墓に関係ないんだ」しかしアドルフは芳男が本多サチの甥であることを確信する。アドルフは酔っ払いの軍人にからまれてケガをする。芳男はアドルフを自分の家に連れて行く。「どう、具合は」「おおきに。おかげさんで。あんたのおやっさんは将校さんですか」「ああ。憲兵隊でね。満州国の建国からずーっとハルピンにいたさ。僕は小学校もハルピンだった」
そして小学校時代の思い出を語る芳男。「満州人はことごとに日本兵からさけずまれ、こき使われていた。それでいて僕が小学校で習うのは、日本軍人が正義の戦争をしているということだった。同じ土地に住み、同じものを食べながら、なぜ満州人は日本人より劣等とされるのか。僕は強い疑問を持った。僕たちの習った正義とは、相手を威圧するためのお題目だと悟った。僕は一生正義のために尽くしてやるもんか、と誓ったよ。だが、親父は僕を幼年学校から士官学校へ進ませるお膳立てをした。結構な軍人コースさ」
そしてアドルフは芳男の写真アルバムから本多サチによく似た女性を見つける。「やっぱり、あんたのおばさんやな」「おたくもしつこいな。本多サチなんて知らない」「なんで、ウソをつくんじゃ。身内に芸者がおるのがプライド傷つくのか。殺人事件とかかわり持ちとうないのか」「もう一度言ってみろ」「ふん。そろそろ帰らせてもらうぜ。もし、あんたの気が変わってラムゼイという人とわたりをつけてくれはったら、俺、いつでもヒットラーの文書持ってきますぜ」
そしてアドルフは帰る。そして本多は芳男に聞く。「今の毛唐は誰だ」「なんでもないよ。ちょっと知り合ったドイツ人だ」「ではなぜヤツがこんな写真を持っていた」サチの芸者姿の写真を見せる本多。「彼がコートを着た場所に落ちとった」「何かの間違いだろ」「では、お前が落としたというのか。うちにあった写真は残らず焼いたはずだ」「でも、あんなドイツ人が落としたなんて、余計ありえないじゃないか」「よし。あの男の身元は憲兵隊に調べさせる。芳男、お前の叔母にあたるこの女をなぜ本多一族から抹殺したか知っとるな。この女がアカのスパイだったからだ。芸者に身をやつして情報を集めていた売国奴だ。お前はそのことをよく肝に銘じているはずだ」「……」
エリザが日本に来て半年。アドルフ・カミュはエリザにプロポーズする。そして本多芳男がアドルフのところにやってくる。「本多サチはおたくの推察通り、俺の叔母だ。叔母は立派な人だった」「ドイツ文学者の桑山先生も知ってはりまっか」「叔母がよく会って尊敬していた先生だよ」「では、ラムゼイは」「ラムゼイという人は知らないが、もしかしたら組織の中心にいる人かもしれない。俺はただの情報提供者さ」
アドルフはヒットラーの出生文書を芳男に渡す。芳男を紹介された小城先生は仁川三重子のところに居候になっている峠草平のところに芳男を連れて行く。芳男は文書をラムゼイに渡すと草平に言う。「峠さん。本来これはあなたのものです。それでお願いに来ました。ぜひラムゼイに届けさせてください」「その文書は私の弟の遺書でもありましてね。だから私も命をかけて守ってきました。それを手放すには弟のかたきうちを、その秘密機関にお願いしますよ」「あなたの弟さんだけじゃなく、ナチスに殺されたユダヤ人とか、もっと多くの大勢の人たちの怨念を晴らしてあげましょうよ」
仁川三重子は芳男を一目見ただけで恋をする。芳男は文書を大きな木の下に埋める。「確か三重子と言ったっけ。なぜまぶたに焼き付いて消えないんだ」空想する芳男。「女などにうつつをぬかして受験勉強もせずに、なんたるふぬけ。それでも日本男児か」「じゃあ、父さんはどうなんだ。父さんが20過ぎのとき由季江とかいう女性に初恋をしたんだろう。父さんがウジウジしている間に、その人はドイツ人と結婚して、それでも父さんは未練がましく、今でもつきあっているんだろう」「うるさい。彼女はわしの恩人の娘だ。彼女を心配して何が悪い」
思い悩んだ芳男は三重子に公園に来るよう手紙を書く。ボートに乗る二人。「本多さんって、かわいいのですね。でもきっとお父様はすごく厳格なんでしょ」「うちなんか成り上がりです。親父は貧乏書生だったそうです。政治家の加味又造の家で働いていました。満州建国の右翼の黒幕と言われた男です。その男に親父は軍人根性を徹底的に叩き込まれたんだ。でも、どういう因果か、僕は親父とまるで性格が反対でね。さあ、今度は君の話を聞かせてください」「お話することはないの」「お父さんはどうして亡くなったんですか」「おととし殉職しました」「立派な警察官だったんですね」「わたしね、父のあとをついで警察官になりたいといつも思うの。女が警察官になれる時代来ないかしら」
そしてドイツとソ連が開戦したというニュースを二人は聞く。「ドイツなんか絶滅しちゃえばいいんだわ」「三重子さん。どうしたんだ」「わたしの父はドイツの人殺しに撃たれて殺されたのよ。ナチスの人殺しが何もしない父を一発で殺したのよ。あたし、父のかたきうちたいのよ。あたし警官になって、ピストルを覚えて、ドイツのヤツラを殺したい」
カウフマンの奥さん
東京憲兵隊司令部はゾルゲに目をつけるが、ドイツ大使オットーの親友なので手を出せないでいる。ソ連はドイツとの戦いに疲れて、関東軍がソ連に進行する絶好のチャンスであったが、軍上層部は資源を得るために南方に力を入れており、ドイツがモスクワを落とすまでは、ソ連に宣戦布告しそうもなかった。オットーはゾルゲにソ連戦線は順調ではないと告げる。「そこで、総統は日本にソ連と開戦させろ、と強い希望でなあ」
そして芳男が三重子と深い仲になる。そんな芳男のところに特高の刑事がやってくる。「ラムゼイは逮捕された。国際スパイ組織が一網打尽になったということだ。そしてお前さんもその末端の分子だ」「失敬だぞ。憲兵隊司令部本多大佐の家族に向って」「高官だからこそ、こちらも紳士的に扱っているんだぜ。今夜は忠告だけしておく。明日大人しく警察に出頭するんだ」そして本多は芳男がスパイ行為をしたことを知る。「悔いはないのか」「ありまえん」「そうか」本多は芳男を射殺し、自殺したことにする。それを知った三重子は「どこか遠くへ行く」と書置きをして、家を出てしまう。ため息をつく峠。「三重子。へこたれるな。人生は長いんだぜ」そして峠は芳男の葬儀に来た由季江と3年ぶりに再会する� ��
東南アジアに進出していた日本軍に対し、アメリカは突然日本人資産の凍結と石油の対日輸出の停止を宣告する。そして昭和16年12月8日真珠湾攻撃により、日米開戦となる。その日、峠は由季江の家に行く。「ほんとに大変なことになりましたわね。アメリカと戦争するなんて、あまりにも常識はずれですわ」「私も無謀だと思いますよ。だいたいね、日本人が海の向こうまで出かけて戦争をやるのは無理ですよ。ドイツだってソ連なんかに攻め込んで。ありゃあ今に手痛い目に会いますよ。奥さんの前ですが、日本もドイツもこのままじゃ負けですなあ」
そして峠は由季江がドイツ料理店をやるパートナーになってもいいと告げる。大喜びする由季江。そして開店前夜になり、二人はワインで乾杯する。開店して最初は客が来なかったが、徐々に客がやってくるようになる。「おめでとうございます、店長。だんだんいい雰囲気になりましたよ」「店長なんて、いや。名前を呼んで」「カウフマンの奥さん」「由季江って名前なのよ。わたし」
それから3年の月日が流れ、世界の情勢は変わった。ここベルリンでも日増しに敗戦の色を濃くしていくナチス政府はヒステリックに反政府分子を見つけては、抹殺していた。ユダヤ人狩りに精を出すアドルフ・カウフマンにランプが面会を申し込む。「あらためて聞く。日本へ行く気はないかね」「ゲシュタボの仕事のためですか」「君は里帰りしたくないのかね」「だから、なぜ日本に行くんです」「ある文書を探して手に入れてもらいたいんだ。その文書は神戸に住むトーゲという青年か、その周辺が持っているはずだ」「なんの文書ですか」
「この文書は総統個人にご身辺に関するスキャンダルなのだ」「もしかして、総統のご出生についての証拠文書ではありませんか」「やっぱり、君は知っておったか。では何も言うまい。カウフマン、その文書は5年前に私が日本で手にいれようとして紛失したものだ。君は命をかけてそれを手に入れて処分する。それが仕事だよ」「考えさせていただきます」そして爆弾テロが起こり、ヒットラーは命を狙われるが、一命をとりとめる。ショックでもはもはやほとんど誰も信じられなくなるヒットラー。
アドルフ・カウフマンはランプとともに反ヒットラーグループの摘発に乗り出す。そしてアドルフはロンメル将軍を殺せ、という命令を受けてびっくりする。「あの国民的英雄のロンメル将軍をですか」「そうだ。将軍が反逆者グループにはいっていることがわかったのだ」「しかし。あの偉大なアフリカ軍団の英雄を。ロンメル元帥は我々の希望の星です。ドイツ軍全軍の誇りです。その方を暗殺するなんてとてもできません」
私たちは日曜日の夕方のサービスを提供している必要があります
そしてカウフマンはロンメルに電話する。「自分は閣下を敬愛するものです。閣下。あなたのお命が危険です」「なんのことかね」「司令部から銃殺隊が差し向けられます」「わしは覚悟しとったよ。わしはあの暗殺事件とは関係ない。だが反総統派に同調しておったのは確かだ。わしはヒットラーにあいそをつかしたのだ。あの狂った男は、この祖国の危機について、わしが何度真剣な忠告をしても耳を貸そうともせなんだ。君には申し訳ないが、あのような総統にかきまわされる祖国はもうダメだ。狂った総統がわしを殺すなら、甘んじて死のう」
そしてアドルフは東部辺境地区ユダヤ人輸送担当官に左遷される。アイヒマン少佐からロンメルが殺されたことを知るアドルフ。「あんな英雄を殺すなんて。総統は完全に狂っている。もう沢山です。狂った総統の下で我々は戦っているんだ」「今更驚くなよ。とっくに誰だってそう思ってるさ。あの総統の下で忠誠を尽くす我々全員も実は狂人の群れなんだ。俺も、君もな」
そして収容所に向うユダヤ人の行進を指揮するアドルフはそこに見知った顔があるのに気づく。「あんたは世界的なバイオリニストのユーリ・ノルシュタインだ。ユダヤ人だったのか」「そうじゃよ」「よろしい。なにか弾くんだ。みんなが素直に歩くように軽い行進曲かなにかをやるんだ」しかしノルシュタインは「独裁者のための葬送行進曲」という陰惨な曲を奏でる。「モーツァルトの「軍隊行進曲」をやれ」「わしには弾けません」「命令を聞かねば今すぐ貴様を射殺するぞ」ノルシュタインは「独裁者のための葬送行進曲」を弾く。アドルフはノルシュタインを射殺する。そして、その夜、その陰惨なメロディがアドルフを苦しめる。「俺はいまいましいあの曲のために、ほかの音楽が何一つ思い出せなくなっ� ��しまった」
そしてアドルフのところにランプが来て、再度日本に行けと命令する。「仕事が二つある。一つは例の機密文書を探し出し、その場で焼却することだ。もう一つ。この文書のことを知っている人間を全て消せ。その中でとくにマークすべき男がこいつだ。ソーヘー・トーゲ。そいつが多分文書のありかの鍵を握っている。私情をはさむが、そいつはわしの娘を殺しおった。そいつをことに念入りに殺してほしい」「しかし日本の周辺はアメリカが制空権を握っていると聞いています。どうやって日本にはいるんですか」「Uボートを使うしかない。それに乗れ。北極海からベーリング海峡を抜けろ」
そしてUボートに乗り込むアドルフは北極のその寒さと潜水艦生活にうんざりする。「もうこんな棺桶生活は我慢ならん。汚れた空気、油と汗のにおい。そしてこの寒さ。えーい。じっとしていると、絶え間なくノルシュテインの行進曲が聞こえてくる。おまけにあのいまいましいユダヤ人どものうらめしげな顔が」そして半分狂った状態でアドルフは日本に着くが、なんとか正気を取り戻す。
さっそく電話するアドルフ。「はい。こちらズッペ料理店でございます」「カウフマンじゃないですか」「いいえ。カウフマンでございますが、どちらさまで」「ママ。ぼくだ。アドルフだよ」「えー。アドルフ。あなたなの。ほんとにあなたなの。今どこなの」「正真正銘のぼくさ。いずれ近いうちに帰るよ。元気」「ええ、元気よ。とても」「声聞いて安心したよ。とても若々しいもの」「ああ。アドルフ。あなたをびっくりさせることがあるの。ママはね再婚したの」「誰となんだ。そいつは日本人かい」「そうよ。ママはそれで国籍を日本人に戻したのよ」ショックを受けるアドルフ。「ママが日本人と再婚。おお神様」
ハイル・ヒットラー
1945年1月25日。神戸についたアドルフ・カウフマンはあまりの神戸の変わりように愕然とする。そして由季江と再会するアドルフ。「アドルフ。大きく立派になったこと」「ママは変わらないね。やっぱり世界一きれいだ」「もう、どこへもやりたくない」アドルフはよく料理店をやってると感心する。「新しいパパのおかげよ。日本人だわ。ステキな人よ。あなたもきっと大好きになるわ」「ママ。僕は絶対に認めないよ。ママもぼくもドイツ人なんだぞ。日本人がぼくの親父なんてまっぴらだ」
「アドルフ。ママは国籍を変えたの。今は日本国籍に戻ったわ」「なんだって。親子で国籍が違うなんて。その人を愛しているのかい、ママ」「ええ。死ぬほど好きよ」「僕は一生前のパパを忘れない。その日本人は赤の他人だ」そこに峠が帰ってくる。「いよー。待ってたよ、アドルフ。俺、峠草平だ」その名前を聞いてショックを受けるアドルフ。「トーゲ・ソーヘー。なんてことだ。峠草平が俺のママの夫」自分の部屋に戻って悩むアドルフ。「あえて、日本人の親父につかえてお袋を喜ばせるか。ゲシュタボ将校として使命をとげて、お袋を見限るか。どっちを選んでも俺は裏切り者になる。だが、俺はきっとあの義父を抹殺してやるぞ。お袋があんな日本人に毎晩抱かれるなんで断じて許せん」
そして、アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは再会する。激しく抱き合う二人。「なんだ、そのなりは」「フン。これが国民服いうんじゃ」「それにいかれたコジキ袋」「この中には、包帯と三角巾と血液型手帳と配給券がはいっとんのや。こいつがあれば空襲で焼け出されても、ヘッチャラやで」「空襲?神戸に。まさか」「知らんのか。三年前にもう大阪や神戸に最初の空襲があったんやで。あほやな。なんでこんな時にわざわざ日本に帰ってこんならんねん。でも、よう日本に無事にたどりついたもんやなあ。とにかく家へ入ろう」「いや。実は君のママに追い出されたんだ」
「そうか。君はナチスやったな。しかし君は別や。親友やからな。それに俺は君がエリザをわざわざ亡命させてくれた勇気に感謝しとるんぞ」「エリザ。そうだ、エリザは今どこに」「エリザは神戸ユダヤ人協会に事務所に勤めとる。会いたいか」「うむ。そこへ案内してくれよ」「ここらで昔、君はよう悪い子に泣かされたなあ」「そうだったなあ。かばってくれたのは、いつも君だった。君は日本人の子でも平気で殴り飛ばしていたな」「俺たちユダヤ人はな、どんな国に住もうが、その国の人間になりきって暮らせる性分なんや」「だが、肌の色が」
「肌の色なんか気にせん。俺は今日本人じゃ」「うらやましいよ。僕なんか日本人との混血ということで、今もずーっとコンプレックスを持ち続けているんだ」「アホらしいと思わんか。国籍はともかく、民族や人種に偏見を持つなんて」「だが、僕は純粋のアーリア人になりたいんだ」「そらあ無理や。血いうもんがある。そこがユダヤ人協会や。今彼女呼んでくるわ。婚約者なら仕事中でも呼び出せる」「待て。婚約者だと」「俺、彼女と婚約したんや」「なに。随分勝手なことをしたもんだな」「エリザと俺は将来を誓い合ったんや」「僕だってエリザを愛してる。これは本気だ。彼女から手を引け」「勝手過ぎやしないか」そこに空襲警報が鳴る。防空壕に飛び込む二人。そこにユダヤ人協会の人間がどやどやと� ��いってくる。
そこにエリザもはいってくる。アドルフ・カウフマンを見てびっくりするエリザ。「無事でよかった。君のことは一度も忘れたことはなかった」「パパやママは」「わからない。多分どこかの収容所だ。僕にはどうしようもなかった」エリザはアドルフ・カウフマンに平手打ちをくらわせる。「どうしてこの人がここにいるの。あたしの家族を家から追い出して、財産全部奪って収容所に押し込めたのよ。この人」「こういうわけや。君にはエリザのことを口出しする権利はないのや」「黙ってろ。ユダヤ人」
そして空襲は終わる。煙を見つめる峠と由季江。「神戸になぜ襲わないのかしら」「さあね」「私、神戸に落とさなかったのは、神戸が空からみて凄くきれいだったからだと思うわ」「そうかい」「神戸は日本で一番美しい港だわ。アメリカだってそのことを知って、残してくれたと思うの」「どうだかね」「神戸の町が無事であるかぎり、料理店ズッペはなんとか続けたいの」「俺たちは気がふれたのかもしれんな。隣町が空襲で燃え盛っているというのに、料理店の話をしているんだからな」
そしてアドルフ・カウフマンは峠を裏庭に連れ出す。「おやじさん、どうやって僕のママに近づいたんですか」「ママが料理店をやろうとしてね。アシスタントを頼まれこうなった」「俺はあんたを父親として認めない。正直いってあんたが嫌いだ」「ドイツ人とか日本人とかなぜこだわるんだね。どっちだっていいじゃないか」「やめてくれ。俺はドイツ人だ。ママもドイツ人でなければならん」「そういう君だってハーフじゃないかね」「それを言うな。アーリア人は全人類の向上に貢献する民族だが、あんたがた日本人は二流民族だから、アーリア人の作り上げた文化を受け継ぐ力がない」
「そんなことを教え込むのかい、ナチスは」「総統が「わが闘争」の中ではっきりおっしゃっている」「やれやれ。じゃあ仮にヒットラーに他の民族の血が混じっていたらどうかね」「なんだって。やっぱり知っていたんだな。文書の内容を」峠を締め上げようとするアドルフを逆にしめあげる峠。グロッキー状態になるアドルフ。「ふたりともそこにいるの。ご飯ですよ。アドルフの帰国祝いよ。まあ、どうなさったの。二人とも血だらけで」「はははは。心配しなくていいよ。寒いからちょっと相撲をとったんだ」そして乾杯する三人。「アドルフの帰国を祝って乾杯」「それから私たち家族の幸せを祈って」「ハイル・ヒットラー」「……」
アドルフ・カウフマンは神戸にいるドイツ人が敗戦を覚悟しているのにショックを受ける。「裏切り者はくたばれ。売国奴は地獄へ落ちろ。俺はナチス将校として誇り高く生きるぞ」そしてエリザを見かけたアドルフは、エリザの家族の手がかりがあるとウソをついて、エリザを自分の部屋に連れ込み、強引に犯してしまう。「ひどい人。これがナチスのやりかたね。さぞかし国でも何人もユダヤの女をこうしたんでしょうな」「とんでもない。僕は君を心から愛しているんだ。君を奪うにはこうするしかなかった。「汝姦淫するなかれ」君たちの戒律だろう。これで多分ヤツも君をあきらめる」アドルフの顔に唾を吐くエリザ。
そして戻ってきたエリザの様子を見て、エリザが男に襲われたことを察するアドルフ・カミュ。「エリザ。朝早くお手数だけど、またカウフマンさんのレストランにパンを届けておくれ」「いや。いや」「あら、なぜ」「行きたくない、あの家は」アドルフ・カミルはエリザの異様な態度から、彼女を襲った男が誰なのかを悟る。
そしてアドルフ・カミルはアドルフ・カウフマンの家に行く。「なんだ。突然」「突然やと。俺が来るのを覚悟しとったんやないか。俺の許婚をなぜ襲った」「襲った?何かの間違いじゃないのか。エリザは自分からこの家に来たんだぜ」「それなら、なぜエリザは怖がってるんや。この家には来たくないと言ってるぞ」「おい、パン屋。ここからさっさと出て行け。友達に免じて無礼は許してやる」「な、なんだと。お前は俺たちの友情をぶちこわしただけでなく、ユダヤ人の誇りを踏みにじった」
「そんなものあるのか。下等な寄生虫に」「う。お前だけはその言葉は言わんと信じていたのに。アドルフ。あいにくな、お前を飼うてるヒットラーもユダヤの血が流れとるのや」「なんだと。たわごとを」「知らぬが仏じゃ。こっちはヒットラーの出生証明書を見たんじゃ」「何もかも見てしまったのか。その文書はどこにある」「もう、そんなことはどうでもええ。報いを受けさせる」「来るなら来い。ユダヤのウジ虫め」激しい死闘を繰り返す二人を止める由季江。「ここはドイツじゃないのよ。神戸なのよ。ユダヤ人や日本人を見下すことは許しません。それができないならば、ママを捨てるか。ドイツを捨てるか、お決め。」「わかりました。ママ」荷物を持って出ていくアドルフ・カウフマン。
せめてもの慈悲だ
峠と由季江はアドルフのことを話し合う。「アドルフはずっとドイツ人クラブに泊っているらしいな」「あの子はあたしの子じゃありません。あきらめました」「あきらめるのはまだ早いよ」「ねえ。ドイツ人とか日本人とか。どうして人種でものがあるんでしょうね。民族や人種があるから戦争が起こり、親子が引き裂かれてしまうんだわ」「どの人種が劣等だとか、どの民族が高級だとか。煽り立てるのはほんのわずかの一握りのオエライさんさ」「また、警戒警報だわ」
そして峠は特高警察の赤羽と再会する。赤羽はあるビルの一室に峠を連れて行く。そこにはアドルフがいた。「おやじさん。もう待てないんだ。どうしても今日は例の文書のありかを吐いてもらう」別室では、小城先生とアドルフ・カミュが拷問を受けて血まみれになっていた。小城に対する拷問に見かねたアドルフ・カミュは文書のありかを告白する。「文書は大阪憲兵隊司令部の本多大佐の息子に渡したんや。本多芳男いうて4年前に自殺した。ウソやない」アドルフ・カウフマンは本多に電話しようとするが、そこに米軍の爆撃が襲ってくる。たちまち神戸は火の海に包まれ、アドルフ・カウフマンの母は死に、峠は耳をやられてしまう。
1945年4月ベルリン。市の中心街はすでに連合軍の空襲で廃墟と化していた。ソ連軍は機動部隊のあるものはすでにベルリンから20マイルの地点まで接近していた。そのころ、ヒットラーは官邸の庭の巨大な地下壕の中で毎日を送っていた。このシェルターは厚さ4メートルの天井でおおわれ、その上をさらに10メートルのコンクリートで包んでいた。その地下壕の二階でヒットラーは情婦のエヴァ・ブラウンと寝起きしていた。
「シュタイナーは何をしとる。ベルリン周辺の共産軍どもを蹴散らしたのか」「まだ、報告は」「将軍どもは全員クズだ。連中はこのドイツをあっさり共産主義者に明け渡す気だ。戦争は負けだ。第三帝国は失敗に終わった」そこにゲッベルスがやってくる。「朗報です。ルーズベルトが死にました。後釜の大統領には穏健派のトルーマンに決まりました」狂喜するヒットラー。「あの世界最大の戦争犯罪人めがついに。ゲッベルス君、第三国を通じてアメリカと連絡をとりたまえ。これをチャンスにソ連軍を叩き潰すぞ。ソ連軍をベルリンに入れて、出口をふさげ。さあ、私の作戦をすぐに実行に移せ」
しかし誰一人ヒットラーの作戦を実行しようとしなかった。絶望するヒットラーはエヴァに結婚を申し込む。「なぜ、今」「私が今信じる正義はそれだけだからさ。いかに共産主義者どもが踏み込もうが、私が神聖な愛を与えることで、ヤツラに勝つんだ」4月28日、エヴァ・ブラウンはエヴァ・ヒットラーになる。4月30日、ベルリンになだれこんだソ連軍の先鋒は国会議事堂を占拠し、市の中心部に迫る。イタリアではムッソリーニがレジスタンスの手にかかって殺され、夫人ともども吊るされる。
側近のボルマンはヒットラーに報告しにいくが、ヒットラーは愛犬を毒殺するなど、完全に正気を失っていた。ヒットラーは死ぬといい後継者はデーニッツにするという。「デーニッツに?で、この私は」「君は党大臣に任命する」「なんたるエコひいき」怒ったボルマンは地下壕から出る。そこにやってくるランプ。「わがドイツはもう最後ですな」「そのとおり。総統は遺言状を作成中だ。はっきり言って失望したよ。そこで君に仕事をしてもらいたい。ユダヤ人を一人粛清するのだ」
「ほう。この地下壕にもユダヤ人がいますか」「いるとも。君のよくご存知の人物だ。ドイツを救うためだ。この廊下をまっすぐ行けば、総統の私室の秘密のドアの後ろに出られる」そしてヒットラーの前に現れるランプ。エヴァはすでに毒死していた。「ゲシュタボのランプです」「出て行け。何しに来た」「ボルマン閣下の命令により、ユダヤ人である閣下を処刑しに参りました」「余は名誉ある死を選ぶ権利がある。処刑など拒否する」
しかしランプはヒットラーを射殺する。そして拳銃をヒットラーの指に握らせるランプ。「せめてもの慈悲だ」そしてヒットラーの遺体はエヴァとともにガソリンにかけられ、総統官邸の裏で焼かれる。その直後、官邸に突入したソ連軍はくまなく調査したが、ヒットラーだと確認できる焼死体はついに発見できなかった。
神戸での空襲は激しさを増す。傷ついた由季江は峠の子を宿していることを告白するが、意識不明の重態になる。身内に軍人の幹部がいれば、由季江を重点的に看病できると医者から聞いた峠は急いで本多のところに行くが、そこにはアドルフ・カウフマンが待っていた。アドルフは憲兵隊を引き連れて文書を探しに来ていた。応対する本多。「私の探しものはただひとつ。なくなられた息子さんの持っていた文書です」「そんなもの、見つからなければどうする。腹を切るか」「よろしい。切ってごらんにいれましょう」
そしてアドルフは木の根本を掘り出して、とうとう文書を発見する。やったと喜ぶアドルフ。「ついにおれはやった。これで国家機密を守れたぞ。俺はこれのために全てを賭けた。何もかも犠牲にした。そして勝ったのだ。ハイル・ヒットラー。総統、ご安心ください」峠に文書を勝ち誇って見せるアドルフ。「これだな」「それだ。ヒットラーの出生証明書」「どうだ。オレの勝ちだ。おやじさん、見つけられて残念だろう」「そんなものは、もう三文の価値もないよ。ついさっき届いたばかりの新聞だ。読んでごらん」
そこにはヒットラー戦死の記事が載っていた。愕然とするアドルフは神戸総領事館に電話して、ヒットラーが死んだことは間違いないことを確認する。「じゃあ、オレが身を粉にしてやっと手に入れたこの文書は、クズ同然というわけか。ワハハハハハハ。まるっきり茶番劇だ。やっと、総統の機密文書を手に入れたとたんに、総統は戦死ときた。なんと絶妙なタイミングじゃないか。なあ、おやじさんよ」「……」「おまけに、オレがやっとドイツ人の誇りを自覚したその祖国は今や全面降伏だ」
泣き笑いしたアドルフは文書を峠に渡す。「この文書は見つけ次第、焼却するように命令されてきた。だが今となっちゃこの書類は、この馬鹿げた歴史のいい証拠物件になるだろうよ。おやじさんに渡すぜ。ユダヤ人にでもくれてやれよ」「アドルフ。そんなことより、伝えたいことがあるんだ。お母さんが重態なんだ。空襲で大怪我をして意識不明なんだ」そのことを聞いた本多はすぐに由季江をいい病院に移す手続きをする。「アドルフ。来るか」独り言を言うアドルフ。「おれはママに勘当された人間だ。だから、おれはあんたの奥さんを見舞いに行くんだ。俺はあんたが憎い。オレからこの世で一番愛していた肉親を奪ったやつだ。しかも、おまけに瀕死の重傷まで負わせたんだ。できれば、あんたを殺したい」< /span>
そしてアドルフは意識を失った由季江を抱きしめる。「ママ。しっかりしてくれ。アドルフだよ。ママ、なんか言ってくれよ。僕を許すとか言ってよ、ママ」峠とアドルフは由季江を病院いきの車の中に運ぶ。そしてアドルフは自分の家の焼き跡付近で車から降りる。「ここでお別れだ。僕は全てに希望を失った。だが死にはしない」「病院で母さんに付き添ってくれんのか」「ああ。ママをくれぐれも頼む。おやじさん」
アドルフに告ぐ
1945年8月、二箇所で原爆が炸裂して、それから一週間後に日本も戦争の幕を閉じる。阪大病院で由季江を見守る峠のところに本多がやってくる。「あれからずーっと意識はありません。ただ息をしているだけです」由季江のお腹を指差す本多。「私の子です。8ヶ月になります。不思議なもんですなあ。母親がこんな状態なのにおなかの子は育つんですね」由季江と二人きりとなった本多は、由季江の別れのくちづけをしたあと、自宅に戻って自殺をとげる。
8月30日、由季江は子供を産むが、体力が耐え切れず死亡する。それから3年、峠は田舎に戻って教師を続ける小城先生のところに会いに行く。「ところで、つかぬことを聞きますが、仁川三重子がこの村に住んでいると聞いてやってきたんですが」三重子は追ヶ浜でお桂の店を手伝っていた。「三重子さん、おれだよ」「峠さん」「おとなっぽくなったね」「あたし、迷ったんです。そして父の死んだ土地が無性に懐かしくなったんです」
「どうして、この店に」「偶然、この店のおかみさんに出会って。お店で働かないかって」「おかみはどこかに行ったのかい」「ええ。朝から舞鶴へ。なんか虫の知らせで私の懐かしい人が戻ってくるような気がするって。引き上げ船を迎えに行きました」「誰も彼も、日本中の人間が大事なものを失った。それでも何かを期待して精一杯生きる人間てのは素晴らしい」そこへお桂が帰ってくる。「あなた?あなたなのね。ミッちゃん、あたし、言ったろ。虫が知らせたって。今日あたり、私の懐かしい人が戻ってきそうだってね。あなた、今夜、泊っていくんでしょう」
第二次大戦が終わってナチスが崩壊すると、ユダヤ人難民は自分たちの祖国をパレスチナに建設しようとした。そして、国連はそれを認め、1948年5月14日、ユダヤ人の新たなる国はイスラエル共和国として、その第一歩を踏み出した。しかし、パレスチナには宗教・風俗がユダヤ人とまったく異なるアラブ人がすでに住んでいた。彼らがすんなりとユダヤ人の建国を認めるわけがなかった。こうして宿命の長い紛争の火ぶたが切られた。果てしない攻防戦、数限りなく破壊される町と無差別なテロ。ユダヤ人はやっと手に入れた祖国を守るために。そしてアラブ人は侵略者ユダヤ人を追い出すために。
そして砂漠の中で、アドルフ・カウフマンは水を求めてさまよっていた。「オレはもうダメだ。このレバノンの乾上った荒地の中でミイラになるんだ。思えば20年間、寝てもさめても、ユダヤ人の影におびやかされて生きていた。いつになったら、執念深いナチの残党狩りをやめるつもりかな。多分百年たってもやめねえだろうな。だが、オレのほうで疲れたよ。もう、おしまいだ」
そしてアドルフは銃撃戦に巻き込まれ、アラブゲリラの味方をする。「お前はドイツ人だな。よかったら、俺たちのキャンプに来ないか。お前さんの過去は問わん。俺たちもユダヤ人と戦っているんだ。お前さんの腕を買おう。組織に加わらんか」こうして、アドルフ・カウフマンはパレスチナ解放戦線の組織に入る。
1973年2月21日。アドルフはゲリラから話を聞く。「どうだった。キャンプの被害は」「手遅れだ。女子供含めて50人は殺されている。虐殺を指揮したのは例によってカミル中尉らしい。1967年にラファ・キャンプの虐殺で、23人を殺したやつだ」「アドルフ・カミュ中尉か」「知ってるのか」「まだ、ヒットラー・ユーゲントのころの友達だった」「皮肉なもんだなあ。ナチの残虐に追われたユダヤ人が、今じゃナチス以上に残虐行為を繰り返し、君のようなナチスだった男が、パレスチナ解放のために戦ってくれるんなんて」「10年になるか。ユダヤ人のナチ狩りに追われて、この山に隠れた俺を、君は「黒い9月」に入れてよくしてくれたよ」
家に帰ったアドルフを妻と娘が出迎える。妻はアドルフが昔アドルフ・カミュの父親を殺したシーンの出て来る本を渡す。「確かにこれはオレだ。あの時は仕方なかったんだ」「子供のころから兵士として、ユダヤ人を殺すことを教える。そのくらい徹底した教育がパレスチナの子供たちにも欲しいわね」「へ。そんな教育をされたから、俺みたいななくだらん殺し屋ができたんだ」「あなたはユダヤ人がどんな仕打ちをパレスチナにしたかご存知でしょう。ユダヤ人を殺すことは正しいことなんだわ」「オレは疲れた」
考え込むアドルフ。(オレはあの日から何千人ユダヤ人を殺したかな。今のオレにはユダヤが何をしようが、アラブがどうしようと関係ないことなんだが、子供に殺しを教えることだけはごめんだ。世界中の子供が正義だといって、殺しを教えられたら、いつか世界中の人間は絶滅するだろうな)そして買い物に出かけたアドルフの妻と娘はユダヤ兵に殺される。「指揮をしていたのは、例によってカミル中尉だったそうだ」「アドルフ・カミュ。よくも、オレの妻と子供を殺しやがったな」
そして、アドルフ・カウフマンはビラを作って、貼りまくる。「アドルフに告ぐ。イスラエル軍24師団382部隊所属、アドルフ・カミュ中尉に告ぐ。二人だけで話をつけたい。これを読んだら、次の土曜日、ジザール高地のナビ地区へ一人で来い。男なら卑怯な真似をするな。アドルフ・カウフマン」そして土曜の正午が来る。考え込むアドルフ・カウフマン。「オレの人生はいったいなんだったんだろう。アチコチの国で正義というやつにつきあって。そして何もかも失った。肉親も、友情も、オレ自身まで。オレは愚かな人間なんだ。だが、愚かな人間がゴマンといるから、国は正義をふりかざせるんだろうな」
そして、アドルフ・カミュはやってくる。「アドルフ・カウフマン。答えろ。オレの父を殺したのか。30年前に。殺しておいて、何くわぬ顔でおれやおふくろに会っていたのか。ひとでなし」「オレがひとでなしだったら、お前は何だ。オレの妻と娘をなぶり殺しにした豚だ。オレはお前の父親なんぞ屁とも思わん。ユダヤの豚め。さあ来い」「貴様こそ、たった今、この手で殺してやる」そして、アドルフ・カミュはアドルフ・カウフマンを射殺する。「アドルフ・カウフマン。あの世でパパにあやまってこい。また来世で会おう」
年老いた峠草平はアドルフ・カミュの家にやってくる。「わしは、今から40年前、神戸でアドルフ・カミュさんと知り合いじゃった峠ってもんですわい」「アドルフ・カミュは父です。父は一ヶ月前に死にました」「うん。知ってる。お父さんは事故に会われたんですな。それを聞いて、日本からやってきたんじゃ。テロの爆弾の巻き添えになって亡くなられたとか」峠はアドルフの墓参りをしたいという。
「そのために、わざわざ日本からおいでになったのですか」「わしは、物書きでして。わしが若い頃、神戸でつきあっていたアドルフ・カミュとアドルフ・カウフマン。それとある文書がもとでわしの一生を狂わせた三人のアドルフについて想い出を書いとるんです。もの書きの執念として、しめくくりを書かないとわしも心残りで死ねません。わしは、この物語を世界中の何百万といるアドルフ名の人間に呼んでもらいます。題も「アドルフに告ぐ」とするつもりです。その何百万人ものアドルフが息子たちに読ませる。そして、その息子が孫のアドルフに。やがて世界中の何千万の人間が、正義ってものの正体を少しばかり考えてくれりゃいいと思いましてね」
そしてアドルフ・カミルの墓参りをする峠。「これはアドルフと呼ばれた三人の男たちの物語である。三人はそれぞれ異なった人生をたどりつつ、一本の運命に結ばれていた。最後のアドルフが死んだ今、この物語を子孫たちに贈る」
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