戦争はなぜ起きるのか: 「日本を今一度洗濯いたし申し候」 なぜ破壊されるのか2
戦争はなぜ起きるのか: 「日本を今一度洗濯いたし申し候」 なぜ破壊されるのか2
ローマに滅ぼされた古代の大商業国家カルタゴ、そのカルタゴがあったチュニジアから、
2011年における破壊の口火となったジャスミン革命が起こったのも無縁ではあるまい。
ただ今回はそのことには触れない。
前に書いたかもしれないが、
あまり知られていない、興味深い事柄について書き留めておく。
まず、カルタゴは滅びたが、
滅びたカルタゴの怨霊がローマを滅ぼしたということ。
ローマに追い詰められたカルタゴが生んだ最後の英雄、
ハンニバルはスペインで暮らし、
ケルト人やガリア人と行動をともにした。
戦争の天才というより、
鬼神となってローマと戦ったハンニバルは、
ポエニ戦争中に片目を失う。
彼は死後、北欧神話における隻眼の死と戦争の神、オーディン・ウォーダンと呼ばれるようになる。
カルタゴを滅ぼされたフェニキア人は地中海を逃れ、
ガリア(フランス)やゲルマーニア(ドイツ)、そして北欧にまで落ち延びていった。
「臥薪嘗胆」「捲土重来」とは、
まさに彼らのためにある言葉であった。
フェニキア人が作っていた巨大な竜骨船は、
のちにバイキングに受け継がれる。
やがて神となったオーディンに急かされるよう、
ゲルマン人たちはローマを襲い、自分たちの国を建国した。
古代フェニキア人のローマに対する呪いは、
この時に開放された。
その新しいゲルマン人たちが信仰していたのがキリスト教であった。
キリスト教といえばローマの国教のはずだが、
なぜ敵であるゲルマン人もキリスト教を信仰していたのだろうか。
その答えのヒントも、
ヘルムの「フェニキア人」にちらっと出ている。
のち、ローマがすでに広汎にキリスト教化されてから、
もう一度、ゼノンと同じように厳しい精神的な立場に立つ人がふたり現れた。それはテルトゥリアヌスとアウグスティヌスで、
二人とも教父であり、二人ともカルタゴ人であった。二人のうち、テルトゥリアヌスの方が華やかで荒々しく、過激であった。
つまり、いかにもバールの神官らしい原初的な狂信家であって、
その上「ラテン語著作家のうちで最も難解な著作家」であった。軍人の息子として生まれた彼は、
教会の長老となったが、教会の組織を、
とりわけ反ローマの地下活動と解していたふしがある。「われわれは昨日の人間である」と、彼はたとえば書いている。
「しかしわれわれはすでに全世界に浸透した。都市、居住地区、宮殿、行政機関、学園、いや軍隊にまでも」。そしてまた、迫害する相手に、
「われわれを苦しめ、虐待し、断罪し、踏みにじるがよい。
君たちの悪意はわれわれの無実の証拠なのだから」
私は長い間、イエス・キリストとは、
古代フェニキア王国を神話化したものであると主張してきた。
ヘルムの「フェニキア人」もそのことの証のひとつとなるだろう。
敵を滅ぼすための戦争は正面作戦だけではない。
フェニキア王国を神格化したヘルメス神は、
姿を消す帽子を持っていた。
オーディン・ウオーダンもまた同じである。
彼らは敵の背後に回り、
敵を倒すために未開民族を育てることができた。
フェニキアには古代のあらゆる技術、
そして並外れた航海知識が備わっていた。
紀元前6世紀にはアフリカを一周していたし、
アメリカ大陸にも行っていただろう。
その事業をバイキングやコロンブスが受け継いだのである。
また、他国に新しい宗教を送り込んで、
国民を信徒として取り入れるという手法は、
敵国を倒す場合や、領土拡張を狙う場合に多用されていた。
宗教が政治の重要な決め事の柱となっていたのだから、
敵を自国の宗教に染めてしまえば、
それはもう国を乗っ取ることと同じであった。
カルタゴ人はローマに滅ぼされた時、5万人が捕虜となった、
だがシーザーの時代になって、カルタゴは復興を果たしていたのである。
このようなわけでキリスト教が成立し、
そして「打倒ローマ」を目指して猛烈な布教が行われたのは当然のことだった。
フェニキア人は古代世界最大の金持ちであった。
そしてもし金がなくとも、
彼らの技術によって金はいくらでも生み出せるのだった。
振り返り、私たちの国「日本」はどうだろうか?
戦争に負けたというが、
またしても「ブリーチ」を求めらている。
他国の宗教に染められてはいないだろうか?
テルトゥリアヌスが言うように、
行政機関、学園、軍隊は大丈夫であろうか?
はなはだ疑問である。
さて、前置きが長くなったが
彼らはなぜ悪霊がこの世を支配していると信じていたのだろうか、
なぜ、オリエント全域に渡り、
このような神が篤く信じられていたのだろうか。
「幸いなるかな、台地に住まう人間の中でこの密儀を目にした者よ」と、巡礼者の父親はに何を信じますか?
「デメーテルへのホメロス讃歌」の著者は詠じている。
「しかし参入を許されず、祭儀にあずかれぬ者は、死してのち、
闇覆う冥界で同じ定めにあずかるべくもない」デメテルの娘のコレ(ペルセポネ)は、ニューサの野で花を摘んでいたとき、
冥界のプルート(ハデス)によって連れ去られた。神々の王に怒ったデメテルは、老女の姿でエレウシスに向かい、乙女の井戸のそばに腰をおろした。
女王メタネイラの末子を育ててくれないかとの誘いを、彼女は聞き入れた。
デメテルはデモポンに乳を与えることはせず、
代わりにその体にアンブロシアを擦り込み、
夜になると彼を「燃えさしのように」火の中に隠した。
子供は日ごと神のようになっていったが、事実、
デメテルは彼を不死で、永遠に若いままにしようとしていたのである。しかしある晩、メタネイラは子供が火の中にいるのを見つけ、
嘆き悲しんだ。
これに対しデメテルは
「何も知らぬ人間どもよ、迫りくる良き定めも、悪しき定めも見通せぬ愚かなものどもよ」と嘆じた。
こうしてデモポンは死を免れることができなくなった。そのとき、女神はその身体から光を発して祟高な姿を現し
「大いなる神殿とその下の祭儀」を彼女のために建てるように要求し、
祭儀をみずから人々に教えた。
女神はトリプトレモス、ディオクレス、エウモルポス、ケレオスに祭儀の執行方法を教え、
密儀のすべてをあきらかにした。
「これは聴くことも語ることも許されぬ、侵すべからざる神聖な秘儀であり、神々に対する大いなる虞が声を閉じ込めてしまう」
ホメロス讃歌は、二種類のイニシエーションを伝えている。
より正確にいえば、讃歌はエレウシス密儀の起源を、
二女神の再会とデモポンの不死化の失敗という二つの仕方から説明しているのである。
デモポンの物語は、原初の時代のある時に人の不死性の可能性が失われたとする、
古代の諸神話と比較しうるものである。
デメーテルは人間を神に作り変えようとしつつあったのである。
女神は人間に不死を賦与するこうした力を有しており、
火あるいは新参者を焼くことは、
もっとも有効な手段のうちに数えられていた。
だが、讃歌は、
おそらく後代に行われたと思われるこの不死の技法の一般化、
つまり火を用いて人間の神格化を可能にするイニシエーションの創設については何も言及していない。
われわれが秘儀について知っているわずかな事実は、
密儀の中核が二女神の来臨に関するものであったことを示唆している。
いくつかの古代文書は、参入者の死後の至福を強調している。
「幸いなるかな、黄泉に下る前にこれを見し者は、彼は生命の終わりを知り、またその始めを知る」
「彼らのみがかの地で真の生命を得るのだ。他のものにとって、そこにあるすべては悪」
文字的および造形的証言は、おもにイニシエーションの最初の段階についてのものであり、
秘密を遵守する必要はなかった。
いくつかの段階があったらしく、小密儀、大密儀(テレタイ)、
そして最終的な体験であるエポプティアが確認される。
テレタイとエポプティアの真の秘密については、
けっして明らかにされなかった。
テレタイとエポプティアの秘密を解き明かすため、
研究者たちは古代の著作家の言及ばかりではなく、
キリスト教護教家によって伝えられている情報も利用してきた。
魂が死後すぐ味わう経験が、大密儀でイニシエーションを受ける者の試練と比較されている。
まず彼は暗闇をさまよい、あらゆる恐怖を体験する。
そして突然、彼は驚くべき光に照らされ、
清らかな土地と牧場を発見し、声を聞き、踊りを見る。
頭に冠を戴いた密儀参入者は、「浄らかで聖なる人々」の中に加わる。
彼は密儀を知らぬものたちが泥と霧の中で一団となってもがき、
死の恐れと来世への不信のため、不幸の中に沈んでいくのをながめる。
エポプタイは、「荘厳な沈黙の中で」一穂の穀物を示されたという。
ヒッポリュトスはさらに、こう続ける。
「夜、輝く炎のもとで偉大な、言葉にしがたい密儀を祝っている最中、最高祭祀は叫ぶ。『聖なるプリもは神聖な御子プリモスを産めり!』
「超自然的な速さで育ち、成熟する穀物の穂は、数時間で育つぶどうがディオニュソスの祭儀の一部であったように、デメテル密儀の重要な部分であった」
ユダヤ教はどのように設立されました「プリモ」「プリモス」という呼び名は、
おそらくトラキア起源である。
プリモは死の女王を意味し、
従ってそのなはコレ、ヘカテ、そしてデメテルにも適用される。
ケレーニイによれば、最高祭祀は死の女王が炎の中で男子を生んだことを宣言したという。
いずれにせよ、最終段階のエポプティアは、
まばゆい光の中で挙行されたことがわかっている。
多くの古代作家は、アナクトロンという小さな建造物の中で焚かれた火について語っており、
屋根の穴から出た炎と煙は、遠方からも見えたとしている。
ハドリアヌス体期のパピルスでは、ヘラクレスが祭祀に次のように述べている。
「私は昔 密儀にあずかった。・・・・炎を そしてコレを見た」
アテナイのアポロにドロスよれば、最高祭祀はコレを呼び出すときに青銅の銅鑼を鳴らしたという。
文脈から考えて、これは死者の王国が開かれたことを意味していただろう。
ミルチア・エリアーデ 「世界宗教史2」ちくま学芸文庫より、ところどころ抜書きさせていただきました
信者たちは、ふたりの女神の来臨によって信仰を確信したという。
エリアーデが書いているように、
炎の中で冥界の扉が開き、
女神が現れる。
「・・・・炎を そしてコレを見た」
とヘラクレスは言っている。
参入者は、女神の子供とされた、
つまり彼は人間から神となったのだ。
ただし、デメテルの密儀にあるように、
人間のままでの不死化には至っていないと考えられている。
彼らは死後の世界の幸福を約束されることで満足した。
これらの秘儀を自分の目で見ることによってそのことを確信したのだった。
ただ、それならばなぜ、
中東におけるこれらの女神の儀式において、
いきにえが捧げられたのか?
という謎は残る。
(エレウシスでは、もっぱら豚が犠牲となったが)
これらの犠牲者は、
デメテルの儀式におけるデモポンと同じように、
「火の中で焼かれて」死んでいったのである。
神々とは死者の霊である。
燃やされて死んでいった人間の霊魂は、
はたしてどの神のもとへといったのだろうか?
キリスト教はこうした生贄の儀式を行わなかった。
いや、テュロスもカルタゴも護れなかった神への祭儀を捨ててもおかしくはなかった。
ただ、いつも言うようだが、
なぜか彼らはバールの名を今でも受け継いでいる。
ローマ帝国に布教する以上、
人身供犠を持つ宗教は受け入れられなかったであろう。
そのために供犠は姿を消した。
しかし、バールの信仰は続いていた。
供犠は形を変えて行われるようになった。
それが戦争である。
要は人間の血が流れ、その命が奪われ、
炎の中で人間が焼かれてゆくのは、
何もトペテでなくとも構わないということに、
彼らは気づいたのだ。
古代フェニキアの生贄の祭壇であるトペテには
「MLK」の文字が刻まれていた。
モロクと解釈されているが、
これは明らかにメルカルト、つまりバール=メルカルト、
すなわちヘラクレスの名が刻まれていた。
地中海世界を大戦争に巻き込み、
多数の国を破壊し、人間を殺した最大の英雄を慰めるため、
数え切れないほどの子供たちの命が捧げられたのである。
そのヘラクレス、メルクの名受け継いだものこそ、
現代のアメリカなのである。
戦争を忘れた日本は、
唄を忘れたカナリヤのようなもの、
そんな日本は「今一度、洗濯され」
ふたたび戦争が出来る国家へと向かわされるだろう。
でなければ消滅させられるだけだ。
枝野は、尖閣列島の問題で、
「あらゆる犠牲を払ってでも、自衛権を行使する」といった。
人間も住んでいない僅かな岩礁によって、
日本人はふたたび戦争に巻き込まれるわけだ。
デメーテルが言った、
「迫りくる良き定めも、悪しき定めも分からぬ者どもよ!」
という言葉の意味がここにあるのである。
尖閣を守るために、
国がなくなっても良いかどうか、
日本人はまったく考えていない。
そんな小島はどうでも良い。
沖縄から北海道まできちんと護られればそれでよいではないか。
フェニキア人は今で言えば魔術を使って冥界に住まう霊を呼び出していたと考えられる。
その仕事を、後にユダヤ教徒が受け継いでいった。
それがユダヤ魔術カバラの正体である。
小密儀では、イメージでしか見ることができない女神が、
大密儀では奥儀には来臨するわけだ。
それがトリックであるか、
それとも本物の霊であるかは、
密儀の参入者ならばしっているはずだ。
人間が触れてはいけない、
闇の世界がそこにある。
人は誰でもいつかは死ぬ。
悪いことをしなければ人間は成仏するはずだ。
ただ、多くの人が心に小さな傷を持っている場合が多い、
宗教はそれを狙って勧誘をかけてくる。
小さな罪があったとしても、
よい行いの方が多ければ気にすることはない。
そして悪行の多かった人は、
今後は善行に務めることだ。
最後に、死ぬまで悪事を繰り返していた人間は、
泥沼の中でのた打ち回ることだろう。
なにせ、肉体はなく、魂だけが残るのだから。
それは精神に染められているはずなのだから。
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