大地震が発生しました。被害は甚大で多くの死傷者や不明者が出ています。また、原子力発電所からの放射能漏れが心配されています。まさかわが国で、このようなことが起ころうとは、このようなニュース映像を目にしようとは、ほとんどの人はこのようなことが現実なのだろうかと信じられない気持ちなのではないでしょうか。
キリスト教において、災害と神とはどのような関係にあるのでしょうか。キリスト教においては、この世にありとあらゆるすべてのものは神の創造によるものです。人にとって良いものも悪いものも直接の神の業によるものです。もちろん地震も台風も神が直接起こしているわけです。
新約聖書においては、黙示録に天国や地獄、恐ろしい戦争や災害についての記述があるのですが、普段口を酸っぱ くして「黙示録は暗号文なのだから、直接読んで理解できることはその通りの意味ではない」のだと主張しているにもかかわらず、キリスト教徒は「黙示録にはっきり書いてあるではないか、お前は文盲か」と批判されます。キリスト教徒が黙示録をそのままにしか理解できないというのであれば、黙示録に、神は災害と戦争をもたらすものだと書かれているのですから、この地震による災害は神がもたらしたものだと考えるべきでしょう。また、同書には神によって「ハルマゲドン」がもたらされるのであるとも書かれています。ですので、あらゆる戦争は神によるハルマゲドンの予形だと捉えることも可能です。
ソーシャルネットワークの自称クリスチャンである方々は「お祈りします」と発言しているようですが、あなた方ご自 身の信仰対象である神様が引き起こした災害によって被害を受けた方々に対して「お祈りします」というのはどういう意味なのでしょうか。誰に、何をお祈りするのでしょうか、その内容を具体的に教えていただきたいものです。
ソドムの例にもあるように、神は気に入らない人々を自然災害という表れを用いて殲滅するのです。「それは旧約だ」という言い訳は聞きません。暗号でないというのであれば、黙示録にはもっとあからさまに反対分子を残酷に殲滅する予告があります。
今回の地震による災害も、神の意思の表れであって、被害者は神に反するのもので、元々罰を受けるべき悪人だったのだ、といわねばなりません。
神に従順な僕であるというのであればそうするべきです。
はじめまして。いつもブログを拝見しております。
誤解のありませんように私が現在求道中の身であることを先に明かしておきます。
神は今は現実の事柄に直接関与してはおらず、罪人は死後に裁かれるのであって、罰という形で何かが起こったりするわけではないと理解しています。
だから、悪人どもが罰で死ぬということは起こりえないです。
ですから被災者の為に祈るのは矛盾はしてないと思うのですがいかがでしょうか。
みいさん、コメントありがとうございます。
また、いつもご覧くださっているとのこと、重ねてありがとうございます。
信仰について、いろいろな考え方や方法があって、どれが良いとか悪いとかいうことは無いだろうと思います。私の考えとあなたの考えが違うことも別に不思議ではありません。
ただ、せっかく疑問点を挙げておられますので、私個人の主観的な意見を述べさせていただくのであれば・・
仮に神がこの世のことに関知していないのであれば、誰も教会へ行く必要が無いことになってしまうでしょう。また、この世のことに関知しないのであれば、神は何を基準にして、死後に裁けばよいのでしょうか、今も昔も、神はこの世に君臨し、大いに関知するところであればこそ、死後を云々できるのです。
キリスト教徒にとってもっとも恐るべきものは「死」です。特に、神に従う決心をする前に災害で死んでしまうことは悪いことなのであって、そのように死ぬ者は、彼ら自身の悪の結果であると理解すべきだと言えるでしょう。
キリスト教徒は神がいてすべての現実世界を支配している、と考えています。「神は全宇宙の主宰者である」という考えです。庭の木の葉っぱが一枚枯れ落ちたことまで承知している、というわけです。
当然地震も台風も神の手によるものです。それでは、生き残った神の信者は被災者のために何を祈るのでしょうか、神の業は完璧で一分の隙も無いはずです。つまり、神の信者は神の業を褒め称えるべき、ということにならないでしょうか、自然災害は神の業なのであって、良い印なのだと、そう理解せねばならないのではないですか。
「ありがとうございます」こう祈るべきだということになるでしょう。違うでしょうか。
ずいぶん嫌なことを申し上げるようですが、言いたいことは現実を見るべきだということです。何にでも理屈というものがあります。キリスト教徒であるということはどういうことなのか、現実を知ってください。理屈をまげて美化してはいけないということです。宗教とはそういうものだという現実です。
またコメントお待ちしています。
クッキングホイルさん、とても丁寧な回答ありがとうございます。
確かに、私が最初に書いたような神だったら人間にとってはどうでもいいような存在になってしまいますね。
全ては神の意志によるということを失念しておりました。
「お祈り」に関してはよくわからなくなってしまいました。そもそも誰か他人の為に祈るということは意味の有ることなのでしょうか。祈りとは神への賛美と感謝だと思いますが、それは本人以外が代わりにできるようなものではないはずです。
現実を知れというのは仰るとおりです。まだまだ私にはキリスト教、キリスト教徒の理解が不足しているということを痛感いたしました。少しずつ、理解していきたいと思っています。
これからの記事も楽しみにしています。
みいさん、コメントありがとうございます!
あなたは、冷静で、感情的にならずに対話ができる方なのですね。感服しました。これからもコメントお寄せくださいね。
僕の祈りについての考えは、記事「祈りとは」
今回のような災害を、一般のキリスト教会では「神の試練」と表現していると思います。これについてはあなたのお考えにまかせます。僕も意見は言わないでおくことにします。
それでは。
はじめまして。地震と聖書で検索したらここにたどりつきました。(長文失礼します・・・)私の叔母さんがクリスチャンで、私に神様を信じてもらいたいそうなんですが(私は無宗教です)それで奥山実さんの「世の終わりが来る!」なんていう本を貸してもらい、読んでるうちに東北で地震が起きて、本に書いてあることが本当だったら嫌だな・・・と思って、このホームページに来ました。クッキングホイルさんの文を読んでいたら、なんだか心が楽になりました。ありがとうございます<(_ _)>叔母さんには三浦綾子さんの著書も貸してもらって、読んだ後は感動して洗礼してもらおうかなと思ったりもしましたが、やっぱりなんだか・・・って感じです。まさに迷える子羊というか(泣)誰かに聞いてもらいたかったので、コメントの場を設けてくださりありがとうございました(^^)/!
ラクダさん、コメントありがとうございます!
拙ブログが何かお役に立てたのでしょうか、とても光栄です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
おば様から信仰を持つようにと進められているのですね。親族にそういう人がいるのはとても始末の悪いことでしょうね。お察しいたします。
奥山実さんという方は福音派という部類の新興教派の指導者だと思いますが、同じキリスト教の中でもとても急進派といいますか、極端で偏った思想を主張する系統の方だと思います。アメリカでは、中絶する医師を殺害するような系統です。よくご注意ください。
三浦綾子さんの著作に感動された、ということですが、僕の観察では、彼女も偏った思想の一人のキリスト教徒に過ぎない、としか思えません。作品からは詭弁と言い訳しか見えてこないと思います。
特定の宗教に偏らないことが、人間としてまず望ましいことだと思います。機会があれば宗教愛好家の目をよく見てみてください。こちらの目を見ずに話します。対話ではなくて、一方的な主張しかできないようになってしまっているからです。
またコメントくださいね。お待ちしています。
早速の回答、ありがとうございます(^o^)>>特定の宗教に偏らない と回答してくださってますが、私なんかその最たるものだと思います・・・なんてったって、父方のおばあちゃんが善○教の信者で、お母さんの実家が神社やってて、叔母さん家が教会やってるから宗教に対しては敏感なんです・・・(泣笑)母方のおばあちゃん家で叔母さん家の悪口行ってたり叔母さん家で母方の家の見下げた発言聞いてるから子供心に複雑です・・・(笑)ややこしくてすみませんm(__)m >>中絶する医師を殺害!?わかりました! 三浦綾子さんの思想は偏ってるんですか>゜)))彡あまり深く考えずに読んでいたのでわかりませんでした^_^;いろいろ教えてくださってありがとうございます。甘ちゃんなので発見ばかりです。
ラクダさん、コメントありがとうございます!
ご家族の宗教、とても複雑なんですね。恐れ入りました。しかし大変なことですね。うまくかわしつつ日々つつがなくすごしてください。
まあ、僕自身も偏っていないかというと怪しいもんじゃないかとは思うのですが、宗教信者が自分自身の宗教をテーマにして作り上げた小説で、偏っていない作品なんて皆無でしょう。宗教小説なんてお経や聖書で十分です(笑)。
またいつでもコメントくださいね。お待ちしています。
こんばんは。黙示録についてインターネットで検索していたところこちらのHPに辿りついて、この記事を読ませて頂きました。
私はプロテスタントなのですが、こちらの記事を読んでいて私の理解とは少し違うところがあったので、書き込みをしています。
まず、黙示録に書いてあること(特に4章以降)は現時点ではまだ起こっていない事柄です。なぜなら、これらのことは再臨の後に起こるとされているからです。今回の地震も物凄い大惨事ではありましたが、黙示録の世界ではそれ以上にえげつない惨事が起こるのだと思います。今回起きた地震や、今までに世界各地で起こった紛争、戦争、自然災害などは、聖書の中のマタイ24章(特に3〜14節)にあたります。
とはいえ、地に起こる様々な出来事に神様が関与していることは確かです。しかし今回の地震も含めて、再臨前に起こるこのような災害等々は神の怒りや裁きとは違います。神の怒りや裁きは全て 、再臨後に起こるのです。