であり、最高に民主的です。...内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分からないほど、
いろんな教義を教える人がいる
ので、どうしたら良いでしょう」と質問したことに対し、ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれてい
るもので答えたものです。
初めの三項目は聞いたこと、あるいは勉強したことに関してです。
1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。
2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。
3.評判になっているからといって信じてはいけない。
四項は経典、あるいは教本、テキストについてです。教本の中にあるからといって信じてはいけない。
すべての面から見た本質とは何でしょうか。それは、
「サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ」、何ものも、私、私のものと執着するべきではない、
というブッダの言葉です。これが三蔵経の中のたった一粒のダイヤモンドです。
「遍行者よ、滅想受定は、無色界を越えてます。」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
北伝と南伝の違いは、スリランカのローカル部派由来か、インドに残った主流派部派由来かの違いで
スリランカの経典でどうこうは根拠になりえない。
『般若心経は間違い?』
大論に云く「十九出家、三十成道、八十入滅」文。此の論は竜樹菩薩の造、寿命三百年、三十万偈
の論師なり。付法蔵の第十三、仏滅後七百年の人なり。
十二因縁
...それは大般若経に載っている。
語る価値もない。
>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。
>3.評判になっているからといって信じてはいけない。
これを言っちゃあ南伝も同じ。
北・南伝も文字にされた時代は同じ。
それに南伝経典にも救世主・転輪聖王・マイトレーヤの預言経が存在をする。
この思想観は遥か釈迦牟爾以前の時代に存在したミトラ教の思想へ回帰する。
釈迦も当然これを知って説法したと思われる。
>これを言っちゃあ南伝も同じ。
そうなんだよね。
だから最初これみたとき、あれ?なんでタイトルが北伝の誤り追求なのに
南伝の批判から始めたんだろうと思った。
いやまじめな話、何が言いたいのか訳分からん。
北伝の不純ブツ(釈迦仏教以外の何らかの思想)混入度80〜90%
南伝の不純ブツ混入度30〜40%・・・・
有識者の方がた、どう判断されますか?是非ご意見お聞かせ下さいませw
>北伝の不純ブツ(釈迦仏教以外の何らかの思想)混入度80〜90%
これには異論なし…いや、もっと多いかな?
>南伝の不純ブツ混入度30〜40%・・・・
逆じゃないかな? 本物がそのくらいの割合で、60〜70%は不純物かと…
ttp://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
>私は、一般の知識人に対しては、三割は切り捨てるべきだと言います。
>考古学や科学、三蔵経に精通している学生になら、もう三割切り捨てるべきだと言います。
釈尊の本来の教えに戻ろう、という復興運動だったんだよ。
例えば端的に言ってこのスレ自体
>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。
というのは南伝自身に当てはめる解釈も可能で、事実俺はそう思った。
つまり不純物というよりその言葉をどう解釈するか、という解釈を大事にしているわけ。
ちなみに字義通り解釈すればいい、というのは言葉の性質を知らない人の言葉。
言葉の意味は時代とともに意味が変遷する。
だからどちらがより本来の教えの意を汲んでいるか、なら
まじめな話、北伝>>>越えられない壁>>>南伝くらい差がある。
これは東南アジア行って彼らの仏教観見れば実感できる。
>2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけない。
>3.評判になっているからといって信じてはいけない。
例えばこれは禅では不立文字、教下別伝と言ってその精神を受け継いでいる。
南伝はどうか。未だに時代に合わなくなった本来なら変えてもいい戒律も
変えないで教条主義に陥ってる、という具合。
そーゆー喪家学会チン女炎みんたいな大乗大乗あほ
みたいなほざくシナ捏造経典惑溺論者がわきすぎた
せいでばれちゃったんだよ
戒と仏教の学問(慧)一筋で定を疎にしてる方の場合は
補足された北伝の物語なども理解できず断見に堕ちてるものが多い。
定に優れていても仏教の学問(慧)を疎かにしているものは
外側の世界に囚われて常見に堕ちてるものが多い。
古来よりインド人は口承、口伝。家伝を重んじる性格がある。
情報の肝心な部分は直接にその人から教わらねば正確に伝わらない。
文章化された経典では教義の一応説明はしていても不足がある。
宗教の古典に属する仏典などもまったくその儘であろう。
卑近な一例である 我々が目にする、指圧、マッサージなども簡単な事は
説明書で可能であっても治療までは出来ないと思う。
詰まり仏法の肝心な箇所の伝承は文字のみの伝達では不可能であると青年は記述する。
と言うことは相当なご案内パンフレットを書いても素人は騙せるのかも知れない。
世の物質に結晶学の法則が存在するように三界の精神形成にも法則が存在する。
四禅定をある程度観察すると四禅天はその観察を物語として説き教えていることを知る。
定を疎かにしてる方は観察されていないため
そのまま自我の受想行識にのみに囚われるために断見に堕ちやすい。
(神は死んだ!アートマンは無いw)
じゃあアンタは何?w今日も飯食って糞してねるんでしょw
アートマンがぶっ飛んだらブラフマンだよ
自我を越えて大我にいたるを梵我一如や即我宇宙や真我ともいう。
ここが自我の色受想行識を越えた自己の色受想行識(蘊界・大海)となる。
どちらも五陰(蘊)が形成する。
自我の五蘊を制してるというのは頭から壷を被った状態であり
自己の色受想行識(蘊界・大海)の五蘊を制して
悪魔は己に調伏され神は己に帰依すると説かれている意味を理解する。
それは主体は己であり悪魔や神は外界の客体であり
客体を生み出しているのが主体の囚われ(煩悩)による五蘊で形成されていることを観察する。
よって答えは>>16
5パーセントジュースか40パーセントジュースか
の違いだよ
しかし北は、セシウムも入ってる
(シナの核実験のも)
有るというのは常見で間違い。
というかずいぶんレベル低いな。。
無いと思うのも死後は存在しないという見識と同じで断見で間違い。
それを形成せしめるもの自己の五蘊。
俺は「無い」とは言ってない。「有る」とも言ってない。
起源の一元の奥の奥は輪廻する主体自体が無い。
それも断見だなぁ
結局「主体」というものを想定してそれが無いと言ってるだけ。
奥の奥とか言ってるが物事を主体と客体に分ける物の見方から一歩も出てない。
っていうかそういう「有る」とか「無い」という
物の見方しか出来ないうちにあまりいろいろ考えても無駄だよ。
釈尊が無限の前世はだれであろう
あなたや私である。
これが真実のブラフマンの奥である。
これが理解できていない方は有身見を断つことはできない。
自我の固体を外界へ認識するからである。
意識の形態は上に行くほど一つに集約され下に行くほど分裂をする。
三界の精神形態も同じである。
輪廻の主体ではなく宇宙は三界の頂点の一つ存在が一度に観ている夢である。
前世と思うその記憶はパイプでしかない。
物事を見る見方が変った訳じゃない。
それはあくまでも同じ見方でしかない。
例えて言うなら肉眼で肉体を見るか、レントゲンで写して内部の骨も見るかという違いでしかない。
どんなに奥に遡ろうがそいうのは邪見なんだよ。
>どんなに奥に遡ろうがそいうのは邪見なんだよ。
それを説き唱えながら御主は今日も飯を食い屁をこき糞して小便たれて寝るであろうw
それを今ここで即刻棄てて入滅(死)してみよ。
できまいw
その事象を棚の上にあげて無に嵌り込んだ者を虚無といいそれが本当の邪見である。
そしてこの思考はオレはオレで他人他人である自我の邪見を助長させ現世の調和をかき乱す。
スリランカの僧侶が銃を取り内戦に参加するほど落ちぶれ堕落した考えとなる。
君は定もしておらず君は何も観察しておらずただの思考停止を悟りと思い込んでいるだけである。
はっきりいって如実知見をした者は2chにはおらん。
2chは>>33のようなアマチュアだらけだな。
内側に外界があり外界に内側など無いことを説く。
>>33は貪・瞋・癡(とん・じん・ち)三毒を離れる清浄行の意味さえも解るまい
これは定ではなく如実知見するものではなく三毒を離れる清浄行だけでは善行による天道である。
存在しないならば
清浄行も必要ないことになる邪見となる。
それが出来ないからといって矛先を人格攻撃にするのはよくない。
あと、「無い」とも「有る」とも言わないのに、勝手に虚無と決めつけるのよくない。
さらに俺は僧侶ではないし、まして南伝テーラーワーダ側の人間でもない。
(大乗支持)
それでもこの程度の初歩的な間違いは指摘できる。
何も高度なこと言ってるわではないので。
現代の南伝で大悟(覚者)で至ったもの殆どいないだろう。
そして清浄行一筋に囚われているだろう。
スリランカ(内戦)仏教にタイ仏教の現状を観れば一目瞭然。
北伝の空海?まだ北伝の空海のほうが?いや宇宙(大日如来)止まりかなw
ケーヴァッダの説法と同様を理解していれば如実知見だな。
欲界で自我に生きる人間とういう者は
肉体も意識も別々の固体の認識しかないのだよ。
そのため自我優先の生活となり調和は取れない。
それを一つ纏まり調和の取れた世界を仏教では梵天界と説く。
きみの思想というのは梵天世界をも破壊する思考でもあるんだよ。
それでその梵天界で生きているんですか?あなたは?
それがどんな世界か、単に想像でなく知ってると?
もしもそうでないならなぜそれを信じるのか?
>1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけない。
いや解っていないだろう。
大乗は聖書の流れ組む思想だ。
解っていたら日輪の秘密を内側から悟るだろう。
仏教の元になる教えというのは聖書より古い。
また仏教はインド発祥というわけでもない。
で、日輪の秘密がなんだって?
は他人を覚らせる智慧を持ってないから
覚ってない
コレほんまか嘘カ教えて!
釈迦も総てのものを悟らせてることはできとらんよw
むしろ外道に強く感化されたものはね。
>>44-45
残念だが君らは無辺の四無量の意味さえも悟っていない。
君らは輪・和・内の外に出ている。
いや出されているのかなw
糞が!!
久しぶりに来たけど板全体があきれるくらいにレベル低い。
前はもう少しまともな人もいたと思ったが、みんな馬鹿を放置して逃げたみたいだな。
いや違うな馬鹿と思うのは当人の鏡だw
バカボン=ヴァカバン(ヴャカバット)≒覚者だw
受けうをしてるのは君らだよ。
本の中の思い込みにより客体である外界を内側から観察していないから
眼暗蓋の脳内妄想を信じる。(内側に嵌り込んだ断見となる)
>>44
>仏教の元になる教えというのは聖書より古い。
>また仏教はインド発祥というわけでもない。
どのように古いのかな?仏教は同じアンチヴェーダとしてジャイナ教と並び同時代に現れ
アンチといえど釈尊はヴェーダに中に真理を見出したバラモンを正そうとしやのが起源である。
そのバラモンの起源はアーリア人がミトラ教時代の思想をインドに持ち込んだものであり
そのミトラ時代の思想がイランの地域に持ち込まれたものが後のゾロアスター教である。
釈尊を太陽の末裔と讃えるのはミトラ時代の思想観によるものである。
アーリア人が対抗意識した民族がユダヤ民族である。
旧約聖書は原始仏教より遥かに古く新訳聖書は原始仏教後の時代である。
イエス・キリストの聖誕祭はミトラの祝祭日を取り入れたものである。
釈尊の全世である本生経の死はイエスの磔刑である。
色界はただの妄想ではない世に映し出されて現存(した)するものである。
時代が違うって?時間の概念は欲界にしかない。
三界の輪というのは頂点が過去現在未来を同時に観ている夢(妄執)であるといっただろ。
その三界の思想観もシュメール文明以前からのものであり当時から三っつの神を据えており
それが後の仏教の応身・報身・法身の三尊佛である。
さらに釈尊の前世は転輪聖王でありキリスト教と結ぶものが日輪の秘密の一部である。
これが真の色界(外側・客体)の観察(一部にすぎない)というものである。
そして並行して無色界(内側・主体)の観察へ入る。
名指しで誰かを馬鹿と言ったわけではないが自分のことと思ったらしい。
多少は自覚症状があったか鏡でも見たのだろうか。
バカボン=ヴァカバン(ヴャカバット)≒覚者だw
空手馬鹿一代と並行してなw
駄目駄目だれも観察できてぇへんわ。
つ 当人の鏡
なんだよ御前の母ちゃんデベソ状態で会話になっていな
世の福田が崩壊へ向かっているな。
死後に五陰を相続して
俺は俺、御前は御前で俺優先の欲界に彼らはまた生ずかw
シリコンで作ったダミー
はネットからしか情報とってないやろ?
>>56, 57
はモノクロの解剖画像の話
カラーの解剖のがいいたいんだろ
あれくらいのダミーは映画やテレビ用で制作するところでも簡単に作るよ。
首がグニョグニョで硬直してないのに口も開かないし
切開した腹の肉がゴムのようにピュンと戻るし
シリコンゴムの特徴そのままでピンセット摘まんだ肝が単体で独立してて
血管などとも繋がってもいないし。
まだまだリアルさが足りないかなw
メスを入れたら血がシュワッと出るとかねw
ヒトの話だけど
捏造もあるから妄りに信用しないほうがいい。
異星人は仏典では欲天の存在として説かれ悪も善も両方存在をしている。
彼らの存在も元は我らと同じく一即一切萬法一帰からの存在でありその精神性は
この地球の人間より熟知しており寿命も遥かに長い。
地球人の寿命と全く違うだろ?
寿命はピンからキリまである。
その中で地球人はあまりにも短かすぎる。
釈尊がサンカーシャから天に登り諸天に法を説き帝釈天と共に地に下った話は
もちろん異星人とUFO(宇宙船)。
最近に始まったことではなく大昔から監視(見守る)されているよ。
渦を巻いているのはUFOではまくミサイルの打ち上げ失敗は既出。
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シュメールの粘土板と太陽系第12番目惑星
さて、それではシュメール文明は春分点の移動についてどこから知識を得たのだろうか?
これについてシュメール人自身は「アヌンナキから知識を得た」との記録を残している。
「アヌンナキ」とは古代シュメール語で「天より地に降り来たりし者」という意味だ。
日本超古代史とシュメール人
九州の不思議発見 押戸石(押戸ノ石)編 2005.8
「阿蘇外輪山の草原の丘に大小数百個の石群があり、その中で最大の石が通称「押戸石」と呼ばれている。
頂上付近の巨石には古代文字(ペトログラフ)が発見されシュメール系海洋民俗の祭礼の場であったと言われている。」
宮崎神話とその舞台 <天孫降臨>
ここの地中には当時<天孫降臨>の宇宙船が埋められているよ。
↓
宇宙船の推進力は石の持つ波動を使う。
御前も逃げたのかw
何を持ってしてレベルが低い?
高貴な仏教知識を披露したらレベルが高いのか?
そんな奴らは仏教大学を出ている者など五万といるだろうよ。
そして煩悩の赴くままに生きている者が殆どでしかない。
Nibiru 2012 - The end of the World HD
宇宙ゴミの可能性もあるね。
私がコンタクトした宇宙船は卵型(楕円)宇宙船と黄金のアダムスキー型宇宙船で
千里眼を通してその基地を見せられもした。(草木の無い地表と山で地球じゃないな)
卵型(楕円)宇宙船はファティマの奇跡で聖母が乗った宇宙船と同じ。
2012年とかでなくまだまだ生きようが今すぐ死んでも囚われののない状態にしておけばいい。
世界が現状の状態で救済されるのかどうか?下記(リンク)をミクロてして地球をマクロとして考察してみればいい。
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(釈迦族)サッカー王国の滅亡
仏陀が悟りを開いてまだ間もない頃、コサラー国のパセーナディー王は、サッカー族の女性を自分の妻として差し出すよう、
サッカー族に命じる。サッカー族は、パセーナディー王と縁戚になることを快く思わず、マハーナーマと言う者の婢(しもべ)の娘を偽って差し出す。
生まれた王子(ヴィデゥーダッバ)が成長し 8歳になったとき、カピラバッツに留学するが、自分の母がサッカー族の女性ではなく、婢(しもべ)の娘であることを知り、
サッカー族に怨みをいだく。やがてヴィデゥーダッバは王となり、幼少の時の怨みをはらすべく、サッカー国に攻め入ろうとする。仏陀が、サッカー国の手前で
ヴィデゥーダッバ王を制するが、ヴィデゥーダッバ王は、三度目に、ついに攻め入る。
サッカー族の人々は、仏教に帰依しており虫すら害することを忌避していたため、戦わずしてカピラバッツ城を開け渡す。ヴィデゥーダッバ王は、
カピラバッツ城を焼はらい、破壊する。
その後の、ヴィデゥーダッバ王の話
ヴィデゥーダッバ王がカピラバッツ城を攻め滅ばしてサーヴァッチーに帰ってみると、息子のジェータ太子が妓女と遊び戯れていた。
怒った王は太子を切殺してしまう。
仏陀は、ヴィデゥーダッバ王とその兵達がことごとく滅ぶであろうと予告する。 7日後、王とその兵達、女達がアチラヴァッチー河の傍で
娯楽にふけっているとき、突然暴風と洪水が起こり、全員が滅んでしまう。
■ [参考]
□ 仏教聖典 / 友松圓諦著、講談社学術文庫、昭和56年8月10日発行
第45章 カピラ城の滅亡(P362-372)
原典は「阿含経」
>>68→>>69
地獄に行ったら、
日本の坊主ばかりで、
寂しくないそうだよ。
神仏を騙って商売してる者は最も深い地獄に堕ちます